ほねおしみ。

更新ストップに特にネガティブな理由はなかったのだけれど、
ふと見返したら、さみしい系の記事で止まっているのはよくないな……と思って、少し、更新。
さみしいことはあったけど、それはそれとして、いいこともいろいろあるのでげんきです。


ほぼ日刊イトイ新聞、昨日の「今日のダーリン」。
この方の書く文章はいつもとてもすきなのだけど、
何がいいのかとぼんやり考えてたら、つまり、
「人を動かしてやろう」というシタゴコロが見えないからなんだな、と思いました。

「言葉を素直に聞けるくふう」。
いいものの中にあるのは、テクニックよりもマインドで。
結局、人と人との対話と同じことだなあと。

「骨惜しみしない」ということばが
とても魅力的に見えた日。


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・なにを、どうすればうまくいくのか?
 いろんなことで、よく質問されます。

 ぼく自身の、なにがどううまくいっているのか。
 それとも、なにかがどんなふうにうまくいってないのか。
 あんまり意識してないような気がします。
 ただ、ぼくも「うまくいってる」ものに興味はあります。
 だれだって、そうでしょう。

 いまイチロー選手が、ヒットを打ち続けています。
 ここ何年かのトンネルを抜け出たみたいです。
 どういうことで、そうなったんだろう。
 いやもっともっと遡れば、
 イチローという選手はどうしてイチローになったのか。
 みんなが知りたがってきたし、多くの人たちが、
 それぞれにいろんな答えを想像してきています。
 
 ある業種のある会社が、とてもうまくいっている。
 同じように見える別の会社は、うまくいってない。
 また別の会社は、どっちとも言えないような感じ。
 だれだって思いますよね、どうしてなんだろう。
 うまくいっている会社にあって、
 他の会社になかったものとはなんだろう。
 それをタネにして、ビジネス本がたくさん出ます。
 
 あるいはまた、すっごくモテてる人がいます。
 そうでもない人とか、モテない人もいます。
 モテてる人は、どうしてモテてるのか。
 そういうテーマの雑誌やら書籍やらも、山ほどあります。
 
 いろんな局面で人は、だれがどうしてうまくいったのか、
 ひっきりなしに考えてきているのです。
 その推理や想像そのものが愉しみでもあるし、
 そのことがわかったら、じぶんもうまくいきそうですし。
 
 ずいぶん長い前置きをしましたが、ぼくはもう、
 わかったと言っていいんじゃないかと思うのです。
 これが鉄則だと思いますし、これでいいんじゃないか。
 「とにかく、骨惜しみをしないものがうまくいく」
 この一行のために、骨惜しみせずに39行ほど書きました。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
骨惜しみしないとは、すなおに、すぐに、すっとやる‥‥。 

emix | 雑記 | 06:10 | comments(0) | - | - | - |

おぼえる・わすれる

毎日、起きている間のぶんだけ、インプットがある。
それは、毎日、毎日、蓄積する。
ぜんぶを取っておく、つまり「おぼえておく」ことは、難しい。
だから、「おぼえておくこと」「わすれてすてること」を
取捨選択して、毎日を続ける。
意図的にも、無意識的にも、自然淘汰的にも。


なのに、
「おぼえておきたかったことなのに、わすれてしまった」
「わすれてしまいたいことなのに、いつまでもおぼえている」
ということが、たくさんある。
ことによると、わすれたことさえおぼえていない。
これは、じぶんコントロール上、「失敗」だ。だいしっぱい。

そう思うと、失敗の蓄積で「今」が組み上がっている訳で、
これではいけない、と思う。

どうしてそういうことになるのか、と考えると、
「とりあえずとっておく」記憶が多いからだ。
その「とりあえず」が換気を悪くして、失敗につながる。
取捨選択は、その瞬間瞬間のうちにおこなって
風通しをよくして、クリアな頭にしないと。

と、考えていると、パソコンのHD内と
のうみその記憶領域とは、よく似ているなと思う。
あと部屋のなかと本棚と。

整理整頓のキモは、みんな共通。
emix | 雑記 | 13:24 | comments(0) | - | - | - |

書けなかった理由。

なんだか日記が、ずいぶん書けずにいました。
いろいろ理由はあるのだけれど、
一番大きなものは、
「書くと、ネガティブなことを書いてしまう」状態だったから。

いっぱい、腹を立てていました。
たとえば政府に。たとえば市民活動家に。企業に。人に。
そしていちばんは、腹を立てている自分に。

すすまない原発の廃炉。
すくわれない東北。
虐げられる弱者。
それでもまだお金稼ぎをしようとする経済界。
言い訳をする人。責任転嫁をする人。
狡い人。嘲笑う人。
正義を標榜して、人を見下す人。

……ああもう、気分悪い!!!

ってな、気持ちになっていました。

そして、そのうえで、
いちばんは、
「そんな人になりたくない」
「同じ過ちをしたくない」と、
身動きがとれなくなって、
何もできていない、自分。

ベストを尽くしたくて、
過ちをおかしたくなくて、
動けない自分。
そして動かないことで、
ベストも尽くせておらず、
過ちもおかしている。

そこから、見えてきたこと。

平和と博愛、というのは
むりです。

できると思うと、大過をおかします。

わたしとわたしの家族、ともだちの平和。
わたしとわたしの家族、ともだちへの愛。

そんな小さな枠の中でしか、
わたしの手と意識は届かない。

さいきん、ソーシャルなんたらのお陰で
せかいの目の届く範囲と、「ともだち」の枠がぐっと広がりました。
それは嬉しい。でも、私の「可能」の枠には、過ぎたものでした。

一番大事なものをちゃんと大事にできるように、
狭い平和と、卑小な愛のために、
等身大の小ささで、見つめ直していきたいと
思っています。

黒電話がいとおしい最近。
あの「誰からの着信か分からない」感覚、
「かけた家電に、誰が出るか分からない」感覚、
「つながらなかったとき、あきらめる」感覚、
「話し中だったとき、相手の状況を考える」感覚。

不便で不自由で、幅広かった。

便利なものは、便利ですてきなんだけど、
不便なものも、やっぱりいとおしい、私。

つまり、「選ぶのは、わたし」という線は
誰にもゆずれないし、誰にも干渉されたくない、
ということなのだと思われます。私の本心。
emix | 雑記 | 15:50 | comments(0) | - | - | - |

「よい」と「よかれ」。

ふっと思った。

「よい」と思うことは、すぐやろう。
「よかれ」と思うことは、一拍おいて
「すぐやる」ことのほうを、やめよう。

……「よかれ」と思うことって、だいたい
「酔っぱらった時に浮かぶグッドアイデア」みたいなもんで、
ひとは喜ばず、じぶんが喜ぶだけのものだったりしがちだし、
ぜんたい、「よいと思うこと」を
頭に浮かんだときにひとつひとつやっていくだけで、
じゅうぶん、時間もカラダもこころも、めいっぱい。

「よい」と「よかれ」を見極めて
ちゃんと取捨選択していけば、
もうちょっと私は、時間がうまく使えるように
なるかもしれない。
emix | 雑記 | 19:33 | comments(0) | - | - | - |

やさしさ考2014。

最近認識したのだけど、
きらいなもののひとつは、

注意力散漫

でした。

そして、それを自責しないこころ。
原因は外にあるのだと転嫁するこころ。

誰がそういうひとだ、だからきらいというのではなく、
自分のなかにもっとも生まれがちなもので、
それゆえに、自分のなかのそれを憎み、
それを持つひとにやさしくなれない未熟を備えてる。

自分のなかのそれをなくせれば、
ひとのなかのそれを、
ゆるせる心境になれるのだろうと思う。

やさしくなるには、こころの修養がひつよう。

やさしさは、天然自然の素質じゃなくて、
とても意識的な願いと寛容から
後天的に生まれるものだと思うのです。

やさしさは、個の中で完結するものではなく、
社会性だから。

emix | 雑記 | 06:37 | comments(0) | - | - | - |

人間より、動物寄り。

賞味期限と国境線は似ている。
どちらも人間が勝手に引いたラインで、
自然の営みや摂理とはまた、別なもの。

つまり、私は、食生活が豊かで、幸せ。
emix | 雑記 | 17:48 | comments(0) | - | - | - |

そこにあるのに、伝えられないものごとたち。

最近深く感じ入ること。

呼び水を注ぐように場を整えなければ語られない話題、
同じ空気を共有している場でのみ伝えられるメッセージ、
無関係とも思える長いたわいのない話があって、
そのはてにちょっと差し込まれる本音の片鱗。

とても得難い話たちで、
かつ、ひとに伝達するのが難しい話たち。


口伝のかたちで伝えられることの背景に必ず徒弟制があるのは、
「場と時間」というファクターが不可欠だからなんだろうと思う。

あるシンガーソングライターのひとが
「言葉は何て迫力がないんだろう、言葉は何て弱いんだろう」って歌っていた。

言葉が身近だからこそ、
言葉に深く接しているからこそ痛感する「無力感」。


伝えたいのに、知らせたいのに、
それができない、大事で大切で素敵なものごとたち。


もどかしいと思っていたのだけど、
最近になって
まぁいいや、これは私の拾得した「GIFT」だ、
私だけの幸運だ、と開き直ることにしました。


この「伝えたいこと」を
あえて簡単にひとことで書くとすれば、
「ごはんがおいしくて幸せ」です。

「伝わらないということ」が、伝わりますように。

----------

※GIFT という表現については、
星野道夫さんの友人のブッシュパイロット、ドン・ロスさんの
ことばのイメージを大いに重ねています。「旅をする木」参照。
(英語表現で、そういうのがあるのですかね。そのへんは未調査)

emix | 雑記 | 07:26 | comments(0) | - | - | - |

ふろしきをたたむ。

やりたいこと、気になることに対して、
動かす手も足りないし考える頭も足りないし
配るべきこころも足りない。
最後のがいちばん傷がふかい。

ということでふろしきを畳む方向で
じぶんのスケールとの調整をはかる年にします。

こころの自由さ、広がりは無限のようだけれども、
やっぱり、からだと密接につながっているもので、
質量保存の法則のなかにあるのだと
あらためて思います。

もしかしたらその頚木さえすっとばしている
ひともいるのかもしれないけれど、
それは私の場合には当てはまらないと自覚。

ちいさな器と、
ささいなことと、
かすかな動きと。
そんな世界をこそ
我が身のうちに。

emix | 雑記 | 05:50 | comments(0) | - | - | - |

1がつ1にち。

素直でないおへそを持ってしまったので、
どこに区切りを持つか、なだけかなあとも思ったりしますが、
「思い立ったが吉日」のひとつということで、
1月1日というひとくぎりの日を、
有効に使ったり願ったり大事にしたりしようと思います。
(昨日のはなし)

昨日が、みんなそれぞれにとって
よい節目になりますように。
emix | 雑記 | 20:31 | comments(0) | - | - | - |

おかねを、蔑まないで。

差別はいけません。
人を見下したりするのは恥ずかしいことです。

…と道徳は教えるんだけど、ほんとうにこれはちゃんと
実践できているのかなぁと思う。自分もひとも。

あえて雑な表現をすれば、
障害のあるひと、病気や怪我をしたひと、
恵まれない環境にあったり不幸にまきこまれているひとを
思いやり、気にかけ、やさしくすることは、簡単(単純)なこと。

案外、それができて、
そちらがわの味方になろうとがんばったり
意識しているひとの多くに、
「差別」「見下し意識」があるのかもしれないと思う。

その「差別」や「見下し意識」の対象はもちろん
「そちらがわ」のひとではなくて、その対岸にいる、
「お金もうけをするひと」や「損得勘定の計算高いひと」、
また、「権力におもねるひと」。

そういうひとたちを、
「心が貧しいよね」「かわいそうな人」なんて、
憐れんだり蔑んだりしてないか。

憐れみ、蔑み。それは、
まさに高みから下に向かって投げることば。
明らかな「見下し」だ。

……

何が言いたいかというと、
自分の経験不足や想像力不足を
既存の「正義」によりかかって正当化したり、
既存の「善の基準」にあぐらをかいて
盲目的になっていないか。

そして、自分が「正義や善の側にいる」と
安心してしまっていないか。
そんなことです。


たとえば、誰にでも激しく吠え、咬みつくような
とても乱暴な犬がいるとする。
その犬の攻撃から小さな犬、弱った犬を守るため、
その犬に立ち向かい、棒で殴って追い払うとき、
自分の行為は勇敢で、弱者を庇護するポジティブなものだと
胸を張り、自信を持ってしまっていないか。

その犬が乱暴になった経緯には、
ひどい虐待や、恐ろしい体験があったかもしれないのに。
(「弱い犬ほどよく吠える」というように、実際、多い話です)

たとえば、政治家や大企業の経営者たちに対して
先に書いたような見下した意識を持ちながら、
平気な顔、得意な顔、正しい顔をしちゃっていないか。


「優越感」、それは、とても醜い。
「好き嫌い」は自由なことだけど、
いばったり自覚しなかったりはまた別のもんだい。


こんな話があります。
田中角栄氏が、とある祝賀会で
小さな女の子に思いがけず花束を贈ってもらい、
その子に喜びと感謝を示したくて、
いつも懐にしのばせている一万円をその子にさっとプレゼントした。

ふだんからそうやって「すぐにその場で、現金で感謝を示す」ということを
習慣(信条)としてやってきたから、
小さな子ども相手にもそれをしちゃった、ということで、
ネガティブに語られがちなエピソードなのですが、
私はこの話の角栄さんはけっこう好きなのです。

単純に「お金でしか感謝を示す方法がわからないかわいそうなひと」っていう感想で
それ以上想像せずに打ち切る見方は好きじゃない。

たぶん、例えば彼が社長だったら、
社員たちがサービス残業とかしなくてもいいように
心配りや予定編成をしっかりするひと。

「お金で働きに応える」ってそういうことだと思う。
で、これまた例えばだけど、
残業の現場に夜食の差し入れをくれる部長は
「わかりやすくやさしい」けど、
そういう状況をつくらないように算段する社長も
「やさしい」はずじゃないか。
(そして、残業を未然に防げなかった部長は「やさしい」のではなく
「罪滅ぼし」をしているだけなのかもしれない)
でも多くの人は、「社長はさー、現場わかってなくてさー」とか言ってない?
……と、そんなことでした。


なんか、「てづくり=あたたかみ&善、お金で解決すること=下品」みたいな
単純な単一評価が世間に根強くある気がして、
それは違うだろうってひとこと言いたくなったのでした。

心のこもっていない「てづくり」だってあるし、
その人にとって一番いいものを考えた結果の「お金の贈り物」だってあるもの。
ボーナスやお見舞金、御祝儀ってとてもあたたかいものだと思うのです。

なんというか、「心のこもったお金」が、
もっと、ちゃんと評価される世界になるといいな。
いや、「何に心がこもっているか、見抜くちからをみんなが身につける」と言うべきか。
emix | 雑記 | 19:08 | comments(0) | - | - | - |
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