「食べ物教」の、福音ひとつ。

身近なとこに、とても気前のよいひとがいて、
そのひとのまわりはとても居心地がよくて、
それは私だけではなくて、みんなそうらしく
いろんなひとがにこにことおみやげをもって
出入りする場所なのですが。

あるとき、そのひとが、
ひとに自分がふるまうことに関して
ふと言ってたことが、こころに深く入ってきて。

「みんなが、うまいうまいと言って
 食べるのを見るのが、じぶんはすきだから、
 いつも切らさないように用意してるだけ」

と。

そのとき、ほんとうに、ふつうの会話のなかで、
なんでもないこととして、さらっと流れていったことば。

あとでじわじわじわっと、
私の頭の中で、リフレインとなってひびき、
今もひびきつづけている。

具体的には、今で4日くらい、つづいている。

なぜか。
そう思って、気が付いた。

これは、食べ物教の、福音。

「ごちそうさん」にも、この手の福音めいた言葉は
とても多いように思うけれども、
身近な場所で、見知ったひとが、
私がそのふるまいに好意を持っているひとが、
肉声でそう言ったことが、そしてそれを直接聞いたことが、
私には、なによりのこととして、ひびいたのだと実感。

ことば自体は、書き残せるけれども、
その背景にある、これらの
「状況」「空気」は、記録には残せない。

残念でありながら、また、今ここにいるわたしたちだけの
体験の特権でもあると思ったり。

いい言葉を聴く場、いい気持ちになれる場、たくさん迎えたいものです。


で、この、「自分がうれしいから、ふるまう」という
気前のよさというものは、まさに
平和の礎ではないかと、感銘をうけたりもして。

こんなひとばかりの世界になったら、
争いも、奪い合いも、意味を為さなくなる。

「うばって手に入れる」という行為を
無価値化する。


いつかこの世に来るかもしれない、
自分のこどもに教えることが、ひとつ増えました。

「ゆたかでも、まずしくても、
 とにかく、気前よくあれ」と。

emix | 食べもの | 06:20 | comments(0) | - | - | - |

ごはんと平和。

雨の日があるから、じっと考える時間が持てるんだろうなぁ、と思う。
ときにしんみり、ものおもい。
そしてそこにあぁお寿司が食べたいなぁという思考が割り込む
我が心の空気の読まなさ。困ったもんです。
しかし同時に、このアンバランスなバランスがあってこそ、
私は大きく心を歪ませることなく、生きてゆけてきたのだろうなと思う。

そういえば、人生の肯定の節目節目には、
いつもおいしい食べ物があった(大きく出てみました)。

やなせたかし氏も「正義とは、おなかのすいている人に
食べ物を分ける行為」と言ってたし(さらに大きく出てみました)。

やさしい気持ちとともに満たされる食はきっと、世界平和の礎なのです。(∞)


ああ、ものおもい、どっかいっちゃった……。
というわけで、今夜は兄の釣果のマグロを
てこね寿司にしていただきます。

なんでもない日、はっぴーデー。
emix | 食べもの | 00:00 | comments(0) | - | - | - |

いきものをたべること。2

(続き)

もう一匹も、なんとか捕まえ、
こちらも首を突く。

頸動脈を切ってから、半時間、と
言っていたけれど、
猪は、依然逃げ出そうと暴れ、
飛び上がり、檻を噛み、
近づく人間に突きかかり、
弱る気配がない。

「血が一滴も出なくなっても、
走っていくこともある」らしい。

鹿の場合は、檻に閉じこめられただけで
暴れ、衰弱して死んでいくこともあるらしい。

草食の動物ではない、
猪の荒ぶり、力強さ、凶暴さ、
それらを目の当たりにした。

そういえば、もののけ姫の
「タタリ神」の、生への足掻きというか、執念というか、
とにかく「爆発的な生命力」に似ている。
死してなお、敵と認識した相手に襲いかかること。
首だけになってなお、牙を剥く気迫。
あの恐ろしさ、そして畏れを感じた。

狩猟民族たちが、
狩りの対象である、山の獣たちを
畏れ敬う理由が、感覚として、
すこし分かった気がした。

ふと、古いアメリカの写真を思い出す。
ライフルを持って、仕留めた大きな熊に足をかけ、
笑顔で写る、白人ハンターの写真。

前に見たときに、
獣にかけたその不遜な足と、その得意げな笑顔に、
不快感を感じていたけれど、
あらためて、その不快感の正体を知る。

「畏れ」がないのだ。


いろいろと思いを巡らすうち、
少しずつ、状況は進んでいく。

動きが鈍くなった猪たちの
後ろ足にワイヤーをかけ、
逆さに吊る。

一頭を吊ったあと、
そこから滴る血を、
もう一頭が一心に舐めていた。

喉の渇きを感じたのかもしれないけれど、
理屈ではなく、本能的に
失った血をとりもどそうかと
していたのかもしれない、と思った。

いずれにしても、
生きるために、今もこの
生き物は、動いている。

すべての瞬間瞬間を、
きっとこの先忘れないだろうと思った。


長くなったので、そろそろ
話を収束する。

最後、二頭は首を絞めて止めとし、
軽トラの荷台に載せた舟に入れ、
持ち帰った。

この止めは、慎重に確認しないと、
もうすっかり弱った上で死んだ、と思っても
突然息を吹き返し、突っかかってきたり、
走り去ったりするらしい。

容易に想像できた。
そして、それが大型の個体だった場合、
逆襲されて怪我、悪くすると命を取られる人間もいるだろう。

動くものを糧とする、生命力の強力な生き物を
狩り、殺し、食らうということは
必然として背負うリスクなのだ、と思った。


そして、わなの位置はそのままで
餌にぬかを撒いて、引き上げる。

捕まった場所だけでなく、
屠殺の現場ではありながら、
それでも、一月くらい経てば、
また近づいてくる猪がいるそうだ。


……そして、持ち帰った猪は
腹を割き、内蔵を出して
熟成のため、吊し置く。
毛皮は剥がず、そのまま。

このサイズだからかもだけれど、
一週間ほどで、熟成が進んで食べられるだろうとのこと。
週末、調理&いただきにおじゃまする予定。

このあたりの「さばくほう」の話は、
また機会があれば記録しておきたいと思う。

……あえて、写真なしでお送りしました。



emix | 食べもの | 16:22 | comments(0) | - | - | - |

いきものをたべること。

友人のお父さんから、
「シシあるでー。あと鯉の丸揚げやるで、捕りにいかんか?」とのお誘い。
あれもせな、これもせな、と思っていたものの、
いきまーす、と返事。

たいそううまそうな話の
鯉の丸揚げはもちろん魅力的だったのだけど、
シカのさばきを、以前、一度させてもらった。
シシはまだだったので、ちょうどあるこの機会に
こちらもさせてもらおう、と思った。

で、友人の父宅に着いたら、
「わなに新しくシシがかかっとるで、捕りに行くわ」とのこと。
いつも肉をいただくばかりだったので、
しめるとこから見せていただくよい機会、と
こちらにもついていくことに。

……以下、一般的には残酷な描写などが入ります。
そういうのが苦手で、かつ、肉が好きなかたは、……見た方がいいと思います。
肉を積極的に食べたいと思わないかたで、そういうのが苦手なかたは、
見なくても、いいと思います。

そりゃ、肉は、元・動物の、からだだもの。
「切り身」になる前段階は、それなりです。



軽トラに長柄の刃物、ワイヤー、ロープ、舟(プラのいれもの)を積んで、
山道をしばし。

「あそこ、見てみ」
言われるままに、山道の下をのぞき込むと、
大きな檻のわなのなかに、小さな獣が二匹、入っている。
近づくと、檻に体当たりをして脱出しようと暴れる。

5mmくらいのワイヤーを格子状に二重に組んだ檻には、
体当たりをしたときのものだろう、あざやかな血がついていた。

鼻づらが、赤い。
鼻で体当たりをするのだ、と思った。

これが、生態調査や、治療目的とかで捕獲をするのならば、
「そんなにケガをするほど暴れなくても」と思うところ。
でも、この子らは、殺されるのだ。
いや、私たちが殺すのだ。

そういえば、獣に対して、
殺す気で近づくことは今までなかった、
ということに気がついた。
さんざん、肉を食べてきたくせにだ。

近づけなかった。
檻から5mくらいのところから、
カメラを肩に掛けて、
彼らの個性があまり認識できない距離を
あえて保っていた。

ふさふさした毛がうつくしい、とか、
ひづめがかっこいい、とか、
遠目には気付いていたけれど、
しっかりと意識したくなかった。

猪は、小さかった。
柴犬くらいの大きさだった。

一匹は、首回りががっしり厚く、
もう一匹は、ややスマート。

「この冬遅くに生まれた子やな」
と、友人の父。

人が近づいたら逃げていったが、
はじめ、もう一匹、檻のそばにいたという。
3兄弟だったのかもしれない。

そう。おそらく間違いなく、
この2匹は、兄弟だ。

きょうだい……いや、詳細を考えるのはやめよう。


友人の父と、その友人とで
道具を持って檻に近づく。

ワイヤーで足を引っかけ、動きを止めたところで
刃物で頸動脈を切る。そして足を吊って逆さにし、
血を抜く。

ざっと、そんな手順らしい。

ところで、自分が「食べるために生き物をしめる」に対して
知っている知識(すべて未体験の「しってるだけ」)は、
魚と、山羊。

魚は、首筋(延髄?)を切り、
尾びれのつけねに切れ込みを入れ、
血を抜く。

山羊は、お世話になった沖縄の島のやりかただそうだけど、
眉間を杭で突いて、そして首のどこかを切って血を抜く。

ともに、すぐに動かなくなる。
そういうものを想像していた。

猪の足にワイヤーがかかる。
檻の外から足を引っ張られ、
檻の壁にはりつけられて
身動きのとれなくなった猪に
槍をもったほうが近づく。突く。

……プギーーーーーーーー!!!

今まで、この猪が暴れながら
ときどきあげていた怒りの声とは違う、
明らかな「痛いーーーーー!!!」の
悲鳴が、響いた。

心の一部に、自分が蓋をしたのを感じる。
そして、猪と人間と、違うことばでよかった、と思った。
あれがもし、個性を感じる人間のような声色で「痛い!」と聞こえていたら、
相当、「殺す」という行為の重さに、苛まれる気がする。

種族が違うということは、きっと、そういうことなのだ。
違うから、殺せるのだ。
そこが、おそらくボーダーラインなのだ。
そう思った。

(補記)
最近の戦争のとき、敵兵を「鬼畜○○」と
人間扱いしない呼び方をした思惑は、ここにあるものだ。
いや、もっと昔の戦争のときにも、
「熊襲」「蝦夷」「土蜘蛛」などと
「人間以外の呼び名」で呼ぶことで、
自分とは異なる民族たちを「征伐」する罪悪感の払拭、
また自分たちに都合のいい「正義」の拠り所としていた。
……リアルに、納得しました。


しかし、そのままよろめき倒れるかと思った猪は
全く弱る気配もなく依然と大暴れし、
檻のほうで作業をするふたりは、
猪にかけたワイヤーを離し、
檻のなかでふたたび暴れ出すにまかせていた。

失敗したのか、と思ったけれど、
どうもそうではないらしい。
会話から察するに「頸動脈を切ったあと、動き回らせ、血を出しきる」らしい。
血抜きは、生きているうち、心臓がうごいているうちに、するのだ。

時間は、どれくらいかかるのだろう。
尋ねると、このくらいの大きさなら、
半時間くらいか、とのこと。

大人の猪は、と尋ねると、
半日くらいかかる、との返事。

半日の間、天敵のそばで、傷つけられ、逃げられぬなかであがき、
恐怖か、怒りかは分からないけれど、
間違いなく、痛み苦しみは長きにわたって味わいながら、
そして、徐々に力を失い、死ぬのだ。


……肉をおいしく食べるために、血抜き処理は、欠かせないものという。
それは、「これ」と引き替えに、得られていたものなのだ。

複雑な気持ちになった。
せめて即死をと思った。

猪の首は、赤く血に濡れていた。
もはや時間の問題という状況でありながら、
そのたたずまいは、檻のなかにあっても
「逃げてやる、戦ってやる」という
気迫に満ち、依然として生命力にあふれていた。

(つづく)
emix | 食べもの | 08:17 | comments(0) | - | - | - |

食について。

とつぜんですが、肉がすきです。魚もすき。
野菜も好きだけど、でもやっぱり肉や魚はおいしい。
肉食もする雑食動物の性からだろう。仕方ない。

なので「動物を殺すのがかわいそうだから、菜食で」という
主張には、少し違和感を持って生きてきた。

たしかに、獣の場合、
あたたかい体温を持つ、毛の生えた、
人間と共通項の多いいきもの。
魚だって、ぴちぴち動いて、口もぱくぱくする、
ほ乳類な人間とは、多少いきものとしての距離はあるけれども、
人間と同じいのちだ、という実感を持ついきもの。
ころすのに抵抗があるのは、否めない。

いきものがころされる。しぬ。
それをかわいそうと思うのも、本能だ。

だけど、それでも、食べると、……おいしい。
これも同様に、否めない、動物・人間の本能。

ころしてごめん。でもおいしく食べます。
そうとしか言えないから、

「いただきます」
「ごちそうさま」

という食前のあいさつの習慣が
生まれ育ったのだ。……と、思う。

諸説あるようですが、わたしは、浄土真宗の関係のとこで聞いた「いただきます」の意味、
「ほとけさまの慈悲と、いきもののいのちと、調理してくれるひとによって
この恵みをいた
emix | 食べもの | 18:34 | comments(0) | - | - | - |

しあわせを呼ぶことば

まじめなはなしでは、
「おすそわけ」とか、「ゆずりあい」とか、
そういうことばが、幸せを呼ぶことばだよなあ、と
しみじみ思うのですが、
今の場合は、ちょいとくだんない話で、
ごはんの話です。

「おかわりOK」。

メニューの横に、
このひとことが添えられていると、
たいへんしあわせを、感じる訳です。

ということで、うれしい1日のごはん。


あさごはん。(朝定食)

亀山PA

ごはんのおかわりがOKでした。
ネギもいれほうだい。きゃいきゃい。


おひるごはん。(とんてき♪)

來来憲

ごはんと、キャベツのおかわりがOKでした。
きゃいきゃいきゃい♪


ごはんがおいしく食べられると、
しあわせです。

そんで、しあわせだなあといってられることが
たぶんこれまた、しあわせなんだと思います。

ありがたいことです。
ごちそうさまー!

emix | 食べもの | 22:25 | comments(0) | - | - | - |

ショウガに恋をして。

いったい、いつからのことなのかは覚えていないのだけれど、
人生の割と早い時期に、私はショウガに恋をした。
生姜湯とか、もう、ぞっこんですよう。

この夏、とあるカフェで自家製ジンジャーエールをいただいたとき、
「やっぱりショウガはおいしいわあああ」とうれしくなってしまって、
ジンジャーシロップの作り方を調べ、作ってみました。
シナモンの配分が多かったか、チトひやしあめみたいになったけど
それもまた良し。満足です。

で、先ほどこのジンジャーシロップが冷蔵庫に残ってたのを
紅茶にいれたら、これまたたまらん味。
(まあ、ミルク抜きチャイですね)

またまたショウガに惚れ直しました。
ああ、私はこの先あと何度、この野菜に恋をするのだろう。
しゃーわせー。
emix | 食べもの | 09:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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