はやくはやくって言わないで。

原発のある世界には絶対反対で「必要悪」論は論外なんだけど、
その上で「原発反対!」という単純化された叫びには同意しきれない。

このカンジを例えるなら「死刑反対!」に馴染めないのに大変似ている。

掲げるお題目の中身じゃなくて「誰がどんな調子で言うか」を見極めたい。
あと自分もちゃんと省みたい。

やなせたかし先生は
「餓えている人に食べ物をわけてあげるのが正義」と言ったけど、
それにすごく同意しつつ、それに重ねつつ、
「誰も見捨てないのが愛」っていうのにもとても同意する。
(「見捨てない愛」については、私が言うのではなく
何世紀も前からいろんな人がいろんなかたちで伝えてきた話)。

そんな「見捨てない愛」とイコールで結べない「正義」は、
かんちがい正義。次の暴力。

……というのが今の見解です。
運動や活動に応援したり同意できなくてごめんなさいのあいさつにかえて。


-----

補記。
派生して、宗教学考察をしていました。

全てのひとを救うのが神で
人にはそれはできないことなのだけど、

「全てのひとを救いたい」と思うことや、
「全ては無理だから、わたしは私の目の前の人だけを救う。
他は他のひとにまかせる。同じようにしてくれるように頼む」
ということは、
ひとの身でできることだと思うのです。

「神」というのは超越的な存在なのではなくて、
シンプルな「目的のイメージ」で、
人間が力をあわせることで成就できる
相対的なものだと思ったりしました。
相対存在に対して、実在も不在もないのだから
それを問うのはナンセンスで。

同じ思いを合わせた意識の集合体が、
神と名付けられるものなのかもしれない。

emix | 戦争と人災 | 07:30 | comments(1) | - | - | - |

救世観音の「女犯の夢告」とキリストの磔刑

(信仰の深い方はおそらく不快感を感じられると思うので、読まないことをおすすめします。
私はどこの側にも属せないあいまいな人間なので、きっと無茶苦茶なことを書いています)

-----

救世観音の「女犯の夢告」とキリストの磔刑。

ああ、このふたつは同じメッセージだ、と
ふと思った雨の午後。

原罪だなんて自罰的になることはない、
いのちが本能(欲)を否定するな、と。

自分の育った畑が浄土真宗なので
どうしてもここからの用語になってしまうのだけれど、
どの宗教も、根底に流れているものは

「悉皆金色」(みんな違って、みんないい)
「悪人正機」(悪人も救いと慈しみの対象)

という、あまねく全ての人にむかう
「人類愛」なのだと思う。

……知れば知るほど、思えば思うほど、
「宗教戦争」って、
神様や宗祖のかたがたの意思に反していると
思えてならない。


また、あえて「信仰とは無縁」なスタンスでの書き方をすれば、
宗教とは、先祖代々の人々が知恵を捻り、
種の保存と、そのために不可欠な愛の姿を深く深くイメージした結果編み出された、
「戦争をなくし、平和を維持するための仕組み」とも理解できないか。


どの神様を信じるかが自由であるように、
信仰のあるなしも、いっそ、関係ない。
何に依るかは自由だし、正解、不正解はない。
ただそこに、人類愛があるかどうか。

そんな「人類愛」とは、ひとことで言えば、

「いないほうがいい人など、いない」

ということだと思う。



※女犯の夢告……禁欲の戒律の矛盾に悩む親鸞上人が
六角堂に籠もったとき、夢に救世観音が出てきて、
「性欲を消せなくてもいいよ、にんげんだもの。
どうしようもないときは、私がだいじょうぶにしてあげるから」と
言ってもらうはなし。(意訳)
詳しくは、こちらのサイトとかにちゃんと書いてあります。ご参考に。

http://www.jodoshinshu.org/biography/95.html

emix | 戦争と人災 | 16:06 | comments(1) | - | - | - |

便利さに、こころを預けた背景で。

先日、記録映画「越後奥三面 山に生かされた日々」を見て
遠く新潟の奥三面(おくみおもて)にダム湖に沈んだ集落があったことを知り、
かつ、そんな大きなできごとを今まで知らなかったことを嘆いていたけど、
ふと、どきりとして調べてみたら
三重にも、集落がダム湖に沈んだところが、あった。
蓮ダム(66戸水没、合計192戸移転)、
比奈知ダム(20戸水没)。
※ざっと調べられたところではこのふたつ。

ああ、もう、ほんとに情けないくらい、ものを知らないのだ自分、って思った。
誰に言えばいいのかわからないけど、とにかく知らなくてごめんなさい。

そして、「ダム湖に水没」というのはとてもショッキングで目立つけど、
高速道路建設の立ち退き、なんちゃらの建設とかで
陸上にありながら、故郷を失ったひともたくさんいる訳で、
あらためて、「便利ってなんだろう」と思う。

道路ができる、施設ができる、
それらが運んでくる「便利」のこともあるけれど、
今思うのは、代議士さんに任せておけば
わたしたちはほぼノータッチで
行政しごとをまるっとやってもらえる「便利」のこと。

手間がかかっても、ややこしくても、めんどくさくても、
時間のロスが多くても、しんどくても、非効率的でも、
こういう決定は
重く受け止めるとか、因果を知るとか、
責任を感じるとか、痛みを分かち合うとか、の意味においても、
「便利」で見えなくしてしまってはいけないんじゃないだろうか。

屠殺の現場を見ずに、肉を食べられることに似ている。
人間が、生き物として等身大じゃなくなってる、いま。


あ、なんか「最終兵器彼女」(漫画)を思い出した。
性描写がけっこうあるので誰も彼もにはすすめづらいけども、
いろいろ考えさせられる、いいはなし。みんな読めばいいのにな。
emix | 戦争と人災 | 22:05 | comments(0) | - | - | - |

「なかよくしたい」。

国と国の対立なんて、ほんとは、ない。
浪費者の欲望と庶民の願いが食い違う構図はどの国にもあって、
例えば中国の庶民のかた、アメリカの庶民のかたは
私たちと同じ種類の願いや悲しみを抱きながら
自分の国の上のほうを見上げていると感じる。
だからどっかで問題がすり替えられてる。

戦争をしたくない。それは世界庶民共通の願いのはずだ。
(一体誰が、家族やともだちに兵隊になってほしいなどと願うものか!)

国と国の「しもじものもの」同士で通じ合うことが、
正しい理解のために不可欠なのだと思う。

……荒っぽい人の荒っぽい行為をクローズアップした
誘導的なニュース映像を見て、やだなぁと思ったのです。

-----

あえて、小さなとこから、言おう。
おいしい中華料理をつくった中国のひと、尊敬してます。大好き。
平和のうたをうたったアメリカのひと、尊敬してます。大好き。
かわいいパペットアニメを送り出してくれたロシアのひと、尊敬してます。大好き。
他にも、いろいろ、いっぱい、たくさんの
「大好き」を向けたい相手が、世界中にいらっしゃいます。


いろいろな個人の集合が、国なのだから、
「○○国、許せない」といういいかたは、ナンセンス。
差別と同じ構造だと感じます。

「なかよくしたい」。
もし、仮に、私が何かの機会を得て
世界に向けてメッセージを出すことがあるとしたら、
それは、このひとことかも、しれないです。


emix | 戦争と人災 | 01:48 | comments(0) | - | - | - |

スポーツとごはんと平和。

世界から、まだ戦争はなくなっていないだのけど、
太平洋戦争のときとかと比べてというだけのはなしなんだけど、
いま、比較的戦争が少なくてよかった
(または、戦争がよくないという価値観が主流でよかった)、と思う。

よその国のスポーツを一緒に楽しめるし、
よその国とスポーツを競いあえるし、
よその国のおいしい食べ物を味わえるし、
よその国の楽器や演奏が楽しめるし、
よその国のひとと対話できるし、
よその国のひとと、ともだちになれる。

しあわせ。
オリンピックばんざーい。
World Wide WebなSNSばんざーい。
今晩食べるであろうブラジルのたべものばんざーい。
さっき友人のウォールでちらっと見た
おいしそうなドイツのおかしばんざーい!
不意に思い出したパヤメンライのタイカレーばんざーい!
(結局たべもののはなしばっか……)

とあるかたが言ってました。
オリンピックは4年たったら必ず次回のオリンピックが来るんじゃない、と。
平和じゃないと、開催できないものなんだと。
そういえば、モスクワオリンピックに日本は出場できなかったもの。

……とはいえ、いろいろ考えると、
今って、かりそめの平和、という気がしてしまうのですが、
かりそめでとどまっている意味、意思の、よいほうについて、少し考えたいと思う。

ちょっと複雑な気持ちになっちゃったけど、
よいオリンピックになりますように。
今晩おじゃまするおまつりが、よいおまつりになりますように。
emix | 戦争と人災 | 00:00 | comments(0) | - | - | - |

NO, 「NO NUKE」。

ああ、核が、きらわれてるなーって思ったら、なんだかかわいそうになってきた。
人が手出しをしなければ、過去でもこの先の未来でも
そうっとすみっこでひそやかに存在していて、
爆発的な悪さはしなかった(できるほどの繁殖力はなかった)O157みたいなものかもしれない。
あるいはオオカミとかシカとかみたいなものかもしれない。

ウラン鉱石の存在が悪いんじゃなくて、すべきでなかった干渉を持った人間が悪い。
自然をコントロールできると驕った心持ちが悪い。

もっと早い時期に、こういうことをいっていたかたがいるのは知っているけれど、
わたしはそういうことを納得とともに思える思考ステップに
今ようやく、たどりついたかんじです。


NO NUKE ということばに、実は
微妙に違和感をずっと感じてたのだけど、
違和感の源は、ここだったのでした。

他者=自分の外 に「敵」を設定すると
ひじょうにシンプルだしうまくいくのだけれど、
それは、やっぱり差別と戦争の元なのだ。

自罰的にならねばという意味ではなく、
やっぱり、ほんとうの敵……言い換えれば、
ほんとうの解決手段というものは、
人のこころの内面にしかないのだと思う。きっと。
emix | 戦争と人災 | 00:00 | comments(0) | - | - | - |

私たちは、将来の「災害経験を語り継ぐお年寄り」。

紀伊半島の水害ののち、
顔のある本にかいたほうからの、転記。
なんとなく、「あっち調」という
書き方が、できあがってるなあ。


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朝、一昨日にはあふれそうだった某一級河川の広い河川敷を見て、ふと思った。
台風は頻繁にくるから、この河川敷のスペースを
「あそばせとくのはもったいない、なんか建てて活用しよう」って言い出す人はいない
(いても歯止めがきく)のだろうと。

台風にくらべたら「めったにこない(けど来る)」
地震、津波、大火事などのことを思いながら。


江戸は、火事が多かったころは
「延焼を防ぐために、道幅を広くしてた」そうな。
東京になって、それをもったいないスペースだと
ぎゅうぎゅう詰めて家をたてて、
結果、関東大震災のときに一気に燃え広がってしまった。


「めったにこない、でも、来る」
そういう「体験できないもの」にただしく備えるには、
「お年寄りと、伝統と、古い言い伝えを軽んじてはならない」のだと、強く認識した。
そして、いま、わたしたちは、将来の「災害体験を語り継ぐお年寄り」の側なのだよね。

ちゃんと残そう。
そして同時に、将来の子どもや子孫たちに軽んじられないよう、
彼らが自分たちと同じ轍を踏まぬよう、
「軽んじた結果の、私たちの失敗」も、
包み隠さず残さないといけない。


emix | 戦争と人災 | 09:27 | comments(0) | - | - | - |

9/11のまえに。

……なんや、このブログと、mixiと
いったりきたりしているのですが、
9/11を前に、あらためて考えたいと思って
先日の日記を読み返して、
最後、ちょこっと追加したので、あらためて。


「ミツバチの羽音と地球の回転。」
http://blog.emix-express.com/?eid=104


原子力、放射能という「不自然の領域」へのNGと、
原発を蔓延させた「構造」へのNGを、
あらためて、表明したいと、思います。

いきものが幸せに生きられる「自然環境」を。
みんなが幸せに暮らせる「社会構造」を。

放射能のインパクトが強くて、
「構造」のほうがすこし、影になっているけれど、
そこから改善しないと、
手を変え品を変え、同じようなことが繰り返される。

NO、原子力!
NO、依存心!

脱・原発とともに、
私たちは、脱・平和ボケ、しなけりゃ。


「何もしていないのに、どうして私はこんな目に」ってのは、
絶対に、言ってちゃいけない。「大人」だったら。


「何もしていないのに、どうして私はこんな目に」
……それは、じぶんが「何もしていなかった」せいだ、とも
考えられないだろうか?


問題。

きりぎりすは、夏、何もしていなかった。
季節が巡って、冬が来て、

( ) 何もしてなかったのに、つらいめにあった。
( ) 何もしてなかったから、つらいめにあった。

これだ、と思うほうに○をどうぞ。


……これは、どっちが正解、という話じゃない。
どっちのことばを、受け入れるか。
受け入れられる、懐と客観視と自省があるか。


「ものごとをよくしていこう」そう思うなら、

「じぶんがやってきたことは、正しい判断だったのか?」
「じぶんがやってこなかったことは、正しい判断だったのか?」

そういう両方の問いかけを、
持たなければ、いけない。


また、同時に、
「意思を持って、『何もしない』ことも、
大事な意思表示なのだと思うのだ。

emix | 戦争と人災 | 18:44 | comments(0) | - | - | - |

NHK/シリーズ証言記録 市民たちの戦争「封印された大震災 〜愛知・半田〜」

ここのところ、ずっとやってる証言記録シリーズ。
とてもいい。
そして、今日(再放送。……再々放送かも)のこれ。

証言記録 市民たちの戦争「封印された大震災 〜愛知・半田〜」
http://www.nhk.or.jp/shogen/schedule/shimin_yotei.html


あらためて、
戦争は、いや、戦争をするような「国」は、
間違っていると認識した。

国とは、「共同体」なのだと、私は認識している。
個人ではできないこと、するのがむずかしいことを、
「みんなの力を合わせてやる」ためのもの。

たとえば野球部。
グローブは、自分で買えばいい。
だけど、野球場を借りるとか、ユニフォームを作るとか、
金額的にも、ボリューム的にも、「なかま」で出し合ったほうがいいものがある。
そのために、みんなで部費を出し合って、買ったり、借りたりする。
この部費が、税金にあたる。
(税金って、なんやネガティブイメージあるけど、
本来、「株式出資」的な、そゆものだと思うのですよ)

農協はじめ、いろんな協同組合のシステム、積み立て、諸々も、そんな感じ。
会社だって、そういう感じ。
スタートは、シェアのきもち。
みんなで分け合って、みんなで協力しあって。


それが、構造(システム)をもっと便利にしよう、
もっとできることがあるはずだ、そうやって突き詰めて洗練?していった結果、
何故か、身分差別的な、「差」ができていって、
共同体に属するひと、一番フォローしたかったはずの
弱い立場のひとを、余裕のある人が、守るのではなく、彼らが
「もっと得するために」虐げる構造に。
人々は死にたくないのに、縁者に死んでほしくないのに、
何故か、一部のひとの思惑が突出して、圧力となって、
戦争を押し進める構造に。



……結果から、答えは出ている。

つまり、「もっと」を第一にして、
何かを求めてはいけないのだ。



そして、話は番組のことに戻る。

「地震で大きな被害を受けた」
「航空機を作っている名古屋が大きな打撃を受けて生産能力が落ちた」
それを敵国に知られたくないと、
また、士気が落ちることを懸念して、
軍部は、この大地震が起こったことに関して、箝口令を敷いた。


そうして、軍事機密扱いにされた戦時中の東南海地震。
手紙の検閲対象になったから親戚に知らせることもできない。
報道されないから救援も届かない。
被災者たちは、名古屋とその周辺という
交通が不便でもない立地にもかかわらず、孤立無援となった。
おそらく、被害状況が知らされていたら助かったであろう、多くの命がうしなわれた。


それが、「共同体」の、することか。
なかまを、守れていないじゃないか。
もはや、「敵」のふるまいじゃないか。


そして、そこまでして隠した地震の事実は、
ほとんど即時にアメリカにばれてた。
そりゃあ、チリの地震の余波が日本に届くくらいだもの、
地球の変動である大地震を、情報規制だけで隠しおおせるはずがない。
いや、隠しおおせると思うほど、
科学技術の差が、既に日本とアメリカの間にあったか。
(もしくは、その差を認めたくなくて、目をつぶっていたか)

……で、「隠したけど、ばれてたよ」ということまでは
以前に聞いたことあったのだけど、今回、その先を知った。

アメリカは、地震を知り、
B29飛ばして航空写真を撮影して被害の実態を確かめた。
そして、そのうえで、
被災地(名古屋の飛行機工場)に爆弾を落としたのだという。

「隠しても、お見通し」と、知らせるために、
「地震の次は、何をお見舞いしましょうか」なんて
追い打ちのビラを撒いて。


このはなしを聞いて、
ちょっと殺意に似た気持ちが湧いてしまって、
どうしようかと思った。


あえてくどくど断って置くけれど、
憎しみを抱いた対象は、「アメリカさん」にではない。

ここで、「アメリカが悪い!」ということは、
「構造に荷担すること」、
本来、自分がにくんでいたものと
肩を並べることだと知っているし、
それをあおりたい「悪意」も、知っている。


憎いのは、
大国とか、軍部とか、そういう構造的なもの。
そして、それを助長し、止められない、荷担する構造。
構造の、構造。そしてそのまた構造……。

「構造」が積み重なるほどに、人間性が希薄になっていく。


火事場泥棒は、個人の人間の犯す
最大で、決して許されない罪のひとつだと、私は思っている。

市中引き回しの上、獄門、
それもあってもいいと思うほどに。

なぜなら、「悪意だけで起こる犯罪」だから。
故意の交通事故でもない。過失による火事でもない。

人の受難を知り、自分の行動が
その災難の傷を深めることと知った上で、
自分が「有利」「得」になる行動をとることだから。

被災地に爆弾を落とすことは、
それと等価の、憎むべき行いだ。


「悪意」と「良心」。

何がおこっても、
何がまやかそうとしてきても、
人間として、それをつねに、判断の基準に持っていたい。

emix | 戦争と人災 | 11:50 | comments(0) | - | - | - |

8/16 のおひさま。

きのうのおひさま。

そばを残す進駐軍。

それに尽きます……。


しかし、しっかりと感情的に腹を立てながら、
物語の構成として、うまいな、と思いました。

だって、すごく腹が立つじゃない、あれ。

ものがなくて四苦八苦しているときに、
やっと手に入れた食材で、やっと作ったおそば。

かつて敵だった兵隊さんである、ということを
心情的に乗り越えて、なんとかウェルカムにしよう、
「おいしい」って言わせてやろう、そうやって
気持ちの整理をして、
「こころを込めて作った、今できる、最高のおそば」。

それを、「good taste!」と言ったにもかかわらず、
へいきで食べかけて残し、感謝も罪悪感もない。

すごく、腹がたつじゃない。
ほんとに、しんそこ。
私はつい、テレビを睨み付けていたし。


……だけど、
このおそばがテーブルに載るまでの「背景」はともかく、
「この風景」だけは、
身近なところで、見たこと、あるよね?

さらにいえば、
その風景を作っているのは、
自分自身だったり、
身近な人だったり、
じぶんの子どもだったりするじゃない。

外食のとき。
人があつまる宴会のとき。
給食の時間や、
ふだんの食卓でも、あるかも?

「おなかいっぱいー」
「これ以上食べられないー」
「これ、苦手なんだよね」
「なんでこんなによそうかなあ」

そんな言葉とともに。


……というところで、
「物語の構成として、うまいな」と、
少し、物語に入り込んでいたところから抜けだして、思ったのでした。


いま、目の前にあるごはん。
その「背景」を、想像してみよう。

どうやって、この食べ物が、
自分の目の前に形を為したか。

素材を作る人、吟味する人、料理を作る人……
そもそも、その「素材」の、動物、植物たち。

ごはんは、いのちと、思いを、いただくもの。


くいしんぼとして、
食の「道」、ちょっと、ちゃんと考えたい。

emix | 戦争と人災 | 17:46 | comments(0) | - | - | - |
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