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本当と嘘、そして「違和感」のしっぽ。

ちょっと、表現、表明……そういうものについて、思うところをまとめたいので、
こんな感じのことを、つらつらと。


あるものかきの人がいってた。

「表現には、つきつめると、たった一つの違いしかない。
 本当か、嘘か」

本当と嘘。

何を本当とし、何を嘘とするか。
これらの区分け、単純ではないと思う。


前にこの日記で書いたことがあるけれども、

「本当のことを、話したくない」そういう気持ちを持っているときに、
「真実を話せ」と強いられたとする。
そのとき、自分のこころに逆らって、
「真実を話す」ということ。

それは、「本当と嘘」どちらだろうか?

表面的な事実としては、真実を伝えたのだから、
本当を話した、と言えるだろう。
でも、気持ちには、逆らっている。


話したくない、そのこころに逆らって
話してしまった……
私は、この場合は、
そちらの「心の問題」のほうでもって、
「嘘」の側だと、思う。

こちらの「嘘」のほうが、
大きな問題だと思う。


……このへんは、
「考えるな、感じるんだ」的な
ところになってくるので、
説明に文字を費やすのは、あまり意味がないように思う。

そういうケースに、遭遇すること。
自分がそういう立場に立ってみること。
深く深く、想像してみること。

そのような、経験、もしくは
シミュレーション、ロールプレイングのなかに
心を放ち、主観と客観で、観察してみること。

そんな積み重ね、経験から、
自分の心のなかに「理解」として
落っこちてくるたぐいのものであると、思う。


そして、このような
「本当か、嘘か?」を
判断するために、育てるべきもの。

「正しいみたいなんだけど、なんかひっかかる」
そんな、ふと感じた「違和感」をそのままにしないこと。

そこだと思う。


たいがい、自分がかつてしてきた「後悔」には、
「思いがけないもの」は、ほとんどなくて、
「そういえば、なんかひっかかってた」というものが
ほとんどだったりする。

サインは、あったのだ。
違和感のしっぽを、つかみそこねていた結果。
あえて目をそらしていた結果。
関係ないと思いこもうとしていた結果。


違和感のしっぽをつかんで、
たぐり寄せてみることができれば、
「自分をだまそうとする自分」の姿が
見えてきたり、する。

だまそうとする、って言い方をすると
悪意由来のものみたいだけれど、

「みんながこういっているのに倣っとこ」的な日和見ごころだったり、
「建前はカバーしているから、問題ないだろう」という思考ストップだったり、
事なかれ主義だったり、面倒に巻き込まれたくない気持ちだったり、疲れだったり。

悪意とまでは言えない、これらの思い。


無意識の野に放ったままにするか、
意識の側にとらえておくか。

そういうことなのだと、思う。


意識の側にとらえられていれば、
「無意識の悪意」まで育ててしまうことなく、
たしなめることができる、そう思う。

emix | 表現 | 09:23 | comments(0) | - | - | - |
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