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自己紹介は、世界を救う。平和の礎。

とある、狩猟してる女子さんのブログのコメント欄が、荒れている。
まあ、狩猟が身近でない人には刺激的すぎる写真が多いので
脊椎で拒絶反応が起こっちゃう人はいるのだろうな、と思いつつ、
荒れている理由の一つには、この主体のひとが
「日本人」かつ「女性」、そして「若い人」であることが大きいように思った。

もしこれが仮に「いかにもマタギ然としたおっちゃん」だったらどうか。
または「イヌイットの少女」「モンゴル人のお母さん」だったらどうか。
たぶん、多少の「イヤだ、見せないで!」の反応はあるかもしれないけれど、
荒れるというほどの状況にはおそらく、ならないだろう。

話は変わるけれど、日本人が外国に行くときに
所属する宗教を聞かれて「特にない」「無宗教」と答え、
おそれられる、というはなしがある。
予備知識に照らし合わせることができず、「得体が知れない」からだ。

何がタブーで、何に敬意を払うのかわからない。
宗教は、ひとつの規範でもある。
何を規範とするか理解できない相手。

一般的に、宗教に縁遠い私たちには理解しにくいことだけれど、
「行動の読めない最近の若者」への恐怖感に似ている気がする。
たとえば、

・年長者、お年寄りに敬意を払わない
・礼儀作法がなっていない
・残酷なことへの歯止めがない
・挨拶や習慣など、今までの「普通」のコミュニケーションがとれない
・あり得ない状況で、「キレる」

など。

これは、「普通のひとなら、こうするはず」という規範が
崩されている、見えない、そういうことから出てくる状況。
ニュースで伝えられる、若者たちの犯罪にぞっとした経験のある人も
多いだろう。

どうしてそうするのか分からない。
何を考えてその行為に走るのか、理解できない。
いやだ。怖い。気持ち悪い。

という、おそれに繋がる。


これと同じことが、
「無宗教です」と答える日本人に
外国人たちがおそれる状況にあるのではないかと思う。


話を戻して、
「日本人」「女子」の行う狩猟。

イヌイットやモンゴル人であれば、
「狩猟民族」という予備知識を通して見ることができる。
マタギ然としたおっちゃんであれば、
「いかにも狩猟するよな」というイメージ通りの安定感がある。

だから、彼らの自己紹介がなくとも、その予備知識やイメージで
「食べるために獲る」「生業として獲る、獲るべくして獲る」と理解することができる。
言い換えれば「正しい先入観」で理解する。不安定はない。


ということで、ひっくり返していって当てはめれば結論になるので
あえて書き出さないのですが、その逆がこの状況なのだな、と思ったのでした。

以前、半農半Xの塩見先生のお話を聞きに行ったときに
「自己紹介は大事です。自己紹介をし合うと、理解し合えたり、共通のものが見つかったりする。
仲間も見つかる。楽しくなる。大げさでなく、僕は自己紹介は世界を救うと思ってます」とおっしゃってみえて、
すごく納得して腑に落ちて「この話、好き!」」と思っていたのですが、
それがここに至って、つながってきました。


自分が何者か、という自己紹介、大事。
不本意な先入観で判断される前に、アグレッシブに
自己紹介していく生き方を、したいものです。

宗教を定めるのも、その一つだなと思う、この頃です。
ようやくといった感もありますが、安易に定められるものではなかったので、やはり。

死生観が確立しないまま命のやりとりはできないはずだったという
本来とてもとても当たり前のことを、
命のやりとりの現場や、命が離れたからだのことを思う数々の機会で
思考実験の試行錯誤を繰り返して、ようやく腑に落ちて理解したところです。


今、あらためて一番見たいのは、イヨマンテ。
emix | 思うこと | 13:19 | comments(0) | - | - | - |
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