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ゲームのおもしろさの話から、戦争との絶対的な違いについて。

ときどきブログにも書いているけれど、
ゲーム(Video Game)っておもしろいものだ、と
機会があるごとに、ずっと言い続けておりまして、
そのへんのおもしろさについて
わかりやすく言語化しているサイトさんがあったので
ぺたり、と貼り付けておきます。

5人タクティクスオウガ
http://homepage1.nifty.com/%7Eyu/t_ogre/

(旧環境のOSXではチルダが出ませんね……)


うんうん、とうなずいたことを抜き出しメモ。

・ハードモードがおもしろいゲームはいいゲームだ
・制限プレイは、ゲームバランスを自分でとる楽しみかた
・子どものころ、学校帰りに「影だけ通って歩く」「地面を踏まないで歩く」などの「縛り」の楽しさが、
 制限プレイのおもしろさに通ずる

当たり前なんだけれども、いわゆるテレビ画面で遊ぶゲームは、
遊び全般の「ゲーム」のひとつ。スポーツもそのひとつ。
勉強だって、読書だって、計算だって、仕事だって、人間関係だって、
いっそ大風呂敷を広げてしまえば、人生だって、ゲームともいえる。


今思う、ゲームの「楽しさ」は、箇条書きにしてみたら、こんな感じ。
きっとまだまだあるのだけど。

・限られた条件の中で、楽しみや喜びをみつける
・そこにカタルシスをクリエイトする
・それは個人的な喜びでありつつ、かつ、
 程度をそれぞれに置き換えることで、共有も可能なもの
・だから楽しみ方はそれぞれ
・プレイヤーも楽しい、ギャラリーも楽しい

そして、ゲームのことについて考えると、
擬似戦争をとりあえることが多いから、どうしても、戦争について考えてしまう。
だけど、そういっちゃえば、「スポーツ」だって、擬似喧嘩だ。
一対一、多対多の喧嘩どころか、一対多のものもあり、擬似いじめでもある。

だけど、違う。あくまで「擬似」の境界を超えることはない。

この定義に通じるけれど、戦争については、断じてゲームとは言いません。
もしあれもそのひとつだと言うのだとすれば、
「本当に一人だけしか楽しめないチートのゲーム」かもしれない。
そしてそのゲームは、最早ゲームではなく、
うまく表現できないけど、別の何か。
ここのわかりやすい説明は、今後の課題。


なんというか、賛否両論の問題だと思うのですが、
名乗りを上げてから戦う、大将が倒されたら兵を引く、
そんな、ある時代に一時期あった、本当の「戦争」には、

「決着をつけるために命をかけるべき時は厳然としてある。
だが、本当はそんなことをしたくはない」

という、苦渋の意志があるような気が、少ししています。

+++

表面的には暫定平和の現在において、しばしば耳にする、
『「殺」が悪だ、「死」は何をおいても避けなければならない』、
そういう安易な話にうなずけない自分の納得どころは、
ひとつ、ここにある気がします。たぶん。
emix | 雑記 | 08:36 | comments(1) | - | - | - |
Comment
戦争に通ずる「本当に一人だけしか楽しめないチートのゲーム」。
ゲーム的な本来のゲーム との区別は何だろうなと考えていたのですが、
「見ていて胸クソ悪いかどうか」が
境界線かもしれない。

スポーツで反則をとられないように反則をするとか、
VideoGameでシステムに用意されていることは何をやってもいい、というえげつない手段をとるとか。

+++

逆に、スポーツでも、VideoGameも、
不利な条件にある方が爽快に逆転する勝利は、みんなが沸き立つ。

高校野球で大差をつけられていたチームがじわじわ追い上げて、サヨナラホームラン勝ちをするとか。
柔道で小柄な選手が大きな選手を背負い投げ一本勝ちをするとか。
格闘系ゲームでゲージが赤になってるとこから精妙にガードを続けて最後は超必で勝っちゃうとか。
RPGで低レベルでギリギリクリアしちゃうとか。

あれらは、どれもゾクゾクするいいシーンだなあと思うのです。

判官贔屓気質かも。

posted by emix ,2013/12/10 3:26 AM











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