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「あえて、極めないことを選ぶ」ということ。

一番効率的で、一番効果が高い方法が、必ずしも最良の手段ではない。
ということは、つねづね思っていたことだけれど、
ひとつまた、自分的にはすごく核に近い部分=食文化のなかで
深く思うことがあったので、書き留めておきます。

おいしい肉を食べるために、
いちばん肉質をよくする方法というのが
野生鳥獣にあっても、肥育環境下にある
いわゆる経済動物たちにあってもいくつかあるのだけど、
それらの方法のうち、
「確かに、いい肉質という結果になる。けれど……」と
気になっているものがあった。

職人たちの磨いてきた技術は素晴らしい。
重ねてきた不断の努力、試行錯誤には敬意を感じる。

そのうえで、私は、
「多少肉質が良くなくなっても、
堅持したい手段、工夫したくない範囲」
があるのだと気付いた。

むしろ、私は、そうした肉を、
その状態から工夫して活かした
食べ方、つかいかたを、考えたい。

いい肉をつくるために心を砕く、真摯な職人のかたがたを
批判する意志で書いていることではないので、
あえて具体的な例をあげずに、曖昧な書き方にとどめます。

素晴らしいと思う。努力と発見と技術に尊敬もしている。
だけどごめんなさい、私はそちらを選ばない。
というだけの話です。

この感じに似ているのは、宗派の違うかたへの思い。
クリスチャンのひとを尊敬するけど、私は同じ行いはしない。
仏教者のひとを素晴らしいと思うけれど、私は別の手段を選ぶ。

つまり、なんだかんだで、私にも核とする宗教観的なものが
心の奥に、しまわれていたようです。

そして、死後の世界があるかどうかはさておき、
「死んだらいのちはそこで終わり」ではないと、
而立から不惑に向かう年月を経て、ようよう実感してきました。

(また、「命が失われたあとのこと」に対して
自分なりに納得のいく答えと信念が決まっていないと、
「命が失われた現場」への対応がちゃんとできないのだと理解しました)

こんな転機がいつかくるとは
全く想像していなかったなあ、なのですが。
宗教は、自分にはむしろ本能に逆らうものだと思ってた。
でも、人間の生んだものは、それもまた自然の一部であって。


本当、人生ってば、当たり前のことを学び直すことばかり。
最終的には、「発見したなあ」じゃなくて、
「やっぱりそうだったんだなあ」という感慨が、
いつか訪れる終の日の、まとめになりそうです。

血のつながりのある先祖たちも、
血ではなく意識の根幹を同じくする先祖たちも、
そういう思いを積み重ねてきて、今に至り、
私に影響を与えてくれているのだと思うと、なんだか感慨深いです。
人間、縦にも横にも繋がって「人類」というひとかたまり、
そしてそれが縦横に走る交差点に結ばれる
「私」という一個人を、構成しているという実感。


「あなたを尊重する。でも、私はあなたと同じことを選ばない」
そういう「ひとを尊重する」かつ「ひとと同調しない」人々が、
それでもひとつの「人々」という集団を形成しているのが、
正しい群れのかたち、変化に対応して全滅しない群れのかたち、
未来を紡ぐことのできる群れのかたちなのだろうと思います。

最近のご時世から、意識はやっぱりこっちのことに
つながってくるこの頃。

NOと言えない日本人、もとい、NOと言いたくない日本人から
「敬意を添えて、上手にNOと伝えられる日本人」に
なっていければいいなと思います。自分。

emix | 思うこと | 05:33 | comments(0) | - | - | - |
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