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「食べ物教」の、福音ひとつ。

身近なとこに、とても気前のよいひとがいて、
そのひとのまわりはとても居心地がよくて、
それは私だけではなくて、みんなそうらしく
いろんなひとがにこにことおみやげをもって
出入りする場所なのですが。

あるとき、そのひとが、
ひとに自分がふるまうことに関して
ふと言ってたことが、こころに深く入ってきて。

「みんなが、うまいうまいと言って
 食べるのを見るのが、じぶんはすきだから、
 いつも切らさないように用意してるだけ」

と。

そのとき、ほんとうに、ふつうの会話のなかで、
なんでもないこととして、さらっと流れていったことば。

あとでじわじわじわっと、
私の頭の中で、リフレインとなってひびき、
今もひびきつづけている。

具体的には、今で4日くらい、つづいている。

なぜか。
そう思って、気が付いた。

これは、食べ物教の、福音。

「ごちそうさん」にも、この手の福音めいた言葉は
とても多いように思うけれども、
身近な場所で、見知ったひとが、
私がそのふるまいに好意を持っているひとが、
肉声でそう言ったことが、そしてそれを直接聞いたことが、
私には、なによりのこととして、ひびいたのだと実感。

ことば自体は、書き残せるけれども、
その背景にある、これらの
「状況」「空気」は、記録には残せない。

残念でありながら、また、今ここにいるわたしたちだけの
体験の特権でもあると思ったり。

いい言葉を聴く場、いい気持ちになれる場、たくさん迎えたいものです。


で、この、「自分がうれしいから、ふるまう」という
気前のよさというものは、まさに
平和の礎ではないかと、感銘をうけたりもして。

こんなひとばかりの世界になったら、
争いも、奪い合いも、意味を為さなくなる。

「うばって手に入れる」という行為を
無価値化する。


いつかこの世に来るかもしれない、
自分のこどもに教えることが、ひとつ増えました。

「ゆたかでも、まずしくても、
 とにかく、気前よくあれ」と。

emix | 食べもの | 06:20 | comments(0) | - | - | - |
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