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文章で表現するということ。

文章で表現するということを選ぶのは、
「書くのが得意だから」じゃない。
「かたちになっていないものを、かたちにしたい」からだ。
それは、文章に限らず、すべての「表現」に対して、思う。

もうひとつ、
「表現の技術」を支えるものとは、
知識の総量ではなく、
その知識をどう使うか、という
「工夫という知恵」「判断という思いやり」
なのだと思う。

そのうえで、
文章を書くということの下積みにあるものは、
・語彙を多く知っている
・慣用表現を多く知っている
・文章の構成パターンが多く頭に入っている

ではない。
いや、それももちろん必要なんだけど、
優先順位は、ほんとうはだいぶ低いと思っている。

だって、そもそも
「人に伝えよう」というときには、
伝えるためのドアを開けて、
声を聞いてもらわなければいけない。
上記に挙げたものは「ドアを開けてからの話」。
まずは、ドアを開けないと始まらない。

で、ではドアをあけるために何が必要なのか、と
考えたとき、
そこからは、「文章を書く」という表現スタイルはまず消えて、
ただただ、「人間関係」「コミュニケーション」から始まる。

失礼でない問いかけ。
いやな気持ちにさせない気配り。
あなたと通じたいのだという好意。
伝えたい、という正直なこころ。

それらがあってこそ、
語彙や表現を多く知る「知識」が
相手に受け入れられる素地ができるのだと思う。

だから、書くとき、そういうことに気をつける。
気をつけると、自然、表現に悩む。書き方を練る。
結果、ほんとに「結果的に」、いい文が書ける。

だから、「いい文章」って、
自分で作って磨くことでしか
作りようがないのだと思っている。
じぶんらしくないものを書いたって、
相手に受け入れられる訳がないのだから。


「上手に書こう」
「うまいこといってやろう」
「すごいって思わせよう」
「コントロールしてやろう」

そんなのは、テクニックじゃなくて、
下心とか雑念という。

いくら起承転結がきれいでも、
エスプリが利いてても、
秀逸な例えが挙げられていても、
語彙が豊富でも、

下心をもって近づくひとは、きらい。
文は人なり、というのはここだな、と思う。

で、「きらわれたら、どんないいこと・有益なことを言っても、聞いてもらえない」
ものだと思うのです。(自分がそうだから)。

ああ、つまり、
世界はラブが回しているのだな、と思う。

というところで、敬愛するキヨシローさんの
有名なことばを借りて、結びにします。

……愛し合ってるかーい?

emix | 表現 | 05:55 | comments(3) | - | - | - |
Comment
ざっつらいと!

posted by toggy ,2015/04/25 11:45 AM

toggyさん、そこは「yeah〜!」でお願いしたかった!(笑)

posted by emix ,2015/06/16 10:05 AM

Goose Houseのコピー「ウルフルズ バンザイ」
https://www.youtube.com/watch?v=whtiSq7k0Lg

忌野清志郎「IMAGINE」
https://www.youtube.com/watch?v=QnKykvIp4Yg


Yeah!

(返信気づくの完全に見逃してました。すまんです ^^;;)

posted by toggy ,2015/08/15 8:06 AM











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