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とある映画の感想。

撮影中も、公開開始も話題になってた
地元が舞台のとある映画。
おもしろいよー、と聞いていたのだけど、
見たい見たいと思いつつタイミングを逃し続けて
ようやく、じわじわと見終わったところ。

でも、すごく、困っちゃった。
よかったところをピックアップして、
「よかった」って言うのはかんたん。
実際、「ああ、いいなあ」って思ったとこもあった。
だけど、「ありえない設定」「矛盾する表現」は、
物語世界の根底をくつがえしてしまって、
「ああ、これ、作り話だったっけな」と
冷めた目になっちゃって入り込めなくなっちゃう。

残念。
個人的には、偏執狂的に
ディテールが「注意深く」作られた作品が好きです。
見えない部分、描かれていない部分もイメージで補完できるような。

なんというか、作家や、監督は
その作品世界を好きに左右できる
「神」のような存在ではなく、
その作品世界の存在を知り、人に伝えることができる
「伝道師」のような存在である、と思っています。

なんだろうな、作品世界への敬意?
ごにゃごにゃ、考え中。
emix | 映画 | 05:56 | comments(3) | - | - | - |
Comment
僕の場合は、モノを取材させていただいて、そのものや事業に関わる人の想いに、ふっと腑に落ちたり納得したときには、勝手に「降りてくる」状態でしたねぇ。(精神世界的に言えばチャネリング?)。
 ものをつくる、って特に「リアル」なところじゃないけれども、見えないけれども「ある」ってーのを伝えようとしたときには、書き手は単なる媒介でしかないのだろうなぁ、っと、振り返って想いますし。そこに「書いた人の責任」と言われても、逆に、創造主はつねに、作ってはゴミに出している、とも想っている自分がいますねぇ。。(責任放棄と言うことではない)。
 書くときに、「降りてくる」って、emixさんもない?

見えないけれども、なにがしか伝えたい「なにがしかの想い」に導通するような・・・

posted by toggy ,2016/09/04 1:20 PM

作品づくりも、ふだん言葉を発することもたぶん一緒で。そのために「選ぶ表現」で好ましいものはやっぱり、対象への敬意のあるものだなと思います。少なくとも「我」を放埓にさせず、抑制しようという意識がされていること。
その表現した映像、ことばを対象がどう感じるか。相手がどう感じるか。それをイメージしてアウトプットされた表現物は、稚拙でも粗雑でも「伝わる」「受け取ってもらえる」ものなのだろうと感じます。
たぶん。

posted by emix ,2016/09/12 5:06 AM

管理者の承認待ちコメントです。

posted by - ,2017/05/31 12:41 PM











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