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石牟礼道子さん追悼。

作家の石牟礼道子さんの逝去を受け、
昨日の新聞、天声人語で紹介されていた内容を
忘れたくなかったので、覚え書き。
 
石牟礼さんが水俣病患者の方たちと運動していた頃に詠んだ句
「祈るべき 天とおもえど 天の病む」

敬意があるからこそ、失わないからこそ、
深くただよう、悲しみと憤り。

もう一つ、石牟礼さんが水俣の人たちから学んだ哲学
「迫害や差別をされても恨み返すな。のさりち思えぞ」

のさりとは、天から賜ったもの、の意味。豊漁がのさりなら、
病苦もまたのさりであり、「のさりち思えぞ」」とは
「たまものだと思え」ということ。


……なんだか、本読みとしては、十二国記のことを思い出しました。

天はある。天は人を救うこともある。
でも、天が病んでいることも確かに、あるのではないか、と。
泰麒を助けてくれない天への、李斎の深い嘆き。
でも、当の泰麒は「自力でできる範囲のことを尽くすのみ、
そうでないものを果たして民は信頼してくれるだろうか」と
いうようなことを言い、天への恨み言を言う李斎を窘める。

この作品の中でも、結論の出ていないことだけれども、
結局、それでも明日は来る、進むしかない、良くも悪くも……
ということしかないのかな、と思います。
(そして「天意」と「人びとの心」は案外、
同一の根に連なるもののように思います)

死んだ歴史の残したものは
輝く今日と また来る明日
他には何も 残っていない
他には何も 残っていない

この歌も思い出したり。

もう一つ、石牟礼さんのことばの記録。

「患者さんは病状が悪いのは魚の供養が足りないからと考える。
岩や洞窟を拝んだりする」
「それを都会から来た知識人は無知で頑迷だと言う。
私はそうは思わない。患者さんたちは知識を超えた
野生の英知を身につけています」

本当に、そう思います。
無知の知、ということばがあらわすように、
自分に知識がある、ととらわれることは、
自分のまだ知らない知識に対して愚かになるということであり。
emix | 表現 | 05:59 | comments(0) | - | - | - |
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