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訊けないから考えるしかないのだけれど。

犬や猫、そんな「一緒に暮らしてくれる動物」たちが
何を考え何を望んでいるのか、ということは、いつも気になる。

飼い主って、彼ら彼女らが子どものときは
どうしても保護者も兼ねることもあるけども、
大人になったら、保護者じゃなく「ともだち」に移行して
分を越えないようにしなければと思う。
愛のふりをして、支配しようとしちゃいけないと思う。

いま気になっているのは、
重篤な状態の犬猫が、どういう対応を望んでいるかということ。
「助けて」じゃないのに、手当てを無理強いするのはきっと「分を越えた干渉」だ。
無理強いして延命したり救命することは、たぶん、よくない。
「こわい」で拒絶していることとの違いは、
野生で暮らしているのじゃなく人と共生しているのだから、
そこは分からないといけない。人間側が。

で、「ほっといて」の場合、居心地のよい環境を
模索してあげる、それしかないと思うのだけど、
さて、居心地のよい環境とはどんなものか、と悩む。

調子の悪いとき、回復したいときは、「あたたかいところ」がいい。
「人の気配があるほうが安心」だったりもする、と思う。
でも、「ほっといて」のときは、
「涼しいところ」「人の気配が近くないところ」を
望んでいるな、と思う。

行きたいところにいけるようにして、そこに行って出てこないならば
そこに留まりやすいようにまわりを整える、そうするしかないのかな、と
思うのだけれど、それは一体何故なのか。

体が楽なのか。
それとも、何か、準備をしているのか。
考える時間を持ちたいのか。

「もう、たすからないだろう」と自分の身体で判断した
彼ら彼女らが、何を思い何を望んで何のために
「だんだんと、静かに灯が消える環境」を欲するのか、
まだ、よくわからない。

猫をずっと見ていて、即身仏になるお坊さんのようだな、と、ちらりと思った。

だんだんと食をうけつけなくなり、水も不要とし、しずかに、
環境のままに、体温と心拍を下げていく……。

これこそ、人間の勝手な想像だったり感傷だったりするのかもしれないけれど、
どうにも、「体の衰えに殺される」のではなく
「衰えゆく体を受け入れ、終わりを促している」ように思えた。

最後に選ぶ、自由意志。
最後に通す、我。
最後に引かれる、線。

誕生のとき、産声をあげることで「始める」ように、
しずかに受け入れる姿勢になることで「終えて」いく。
それはどこか、大切な命の儀式のように。
……こういう見方は完全にこっちの感傷だと思うのだけれど。


ま、わからないことだらけついでに突飛な想像をしておくとすれば、
あれは、もしかしたら猫又になる儀式の手順だったのかもしれない。
老境に入ってから、猫又になりなよ、と何度か言ってきたからなあ。

猫又としてのセカンドライフをどこかではじめていたらいいな、と思います。


emix | 雑記 | 03:36 | comments(0) | - | - | - |
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