続・10月9日に読み始めると味わい深い本。

10月9日に読み始めると味わい深い本。
http://blog.emix-express.com/?eid=336
の、続き。

おもしろいよなあ、読んだ人まわりにいないし
ネットの感想を見てみよう、と思って検索したところ、
あれれ、案外印象の違う人が多い、とびっくり。
いわく、「もっと面白いと思ってた」
「犯人が簡単にわかった、意外性がない」
「推理に無理がある、トリックの必然性が薄い」
などなど。

一瞬むっとして、あ、と思った。
そして、作者のにやりとした笑いが見えた気がした。
そうか、そういう作品か。

たぶん、この物語の読後に感じる「こわさ」の本当のウェイトは、
猟奇的な事件やそういうことを行う人間の存在のほうではなく、

作中で「謎を解明していく謎解き役」である式部さんが感じる
「この島の人間は、決して余所者に本当のことを言わないのだ」
という思い。そして、彼はそれを感じたはずなのに
表面上では、ちゃんと島の人と会話は成立していく=
そこそこのコミュニケーションはとれていく中で、
「いつのまにか彼らの言うことを信じていた」という
「何が本当かわからない」という、感情の「迷子感」

…のほうにあるのではないかな、と思います。

そして、その「不信」の関係は、
島の人と余所者(式部さん)という関係だけでなく、
登場人物たちと読者たる自分、の関係にまで広がっていく。

終盤、とある、第二の謎解き役である島の人によって語られる、
「これは確定事項で疑念をさしはさむ余地はありません」という言葉、
「本人の証言を待たなければわからないことを訊ねないでください」という言葉。

もちろん、「事実」として作者が書き記す内容に嘘があることはない。
だけれど、「この登場人物の推理が正しい」と、どうして私たちは信じてしまったのか?
そこに、信用に足る根拠はないことに気づかされる。


そしてもうひとつ、「罪と罰の辻褄が合ってしまうとそれ以上考えなくなる」という
心理装置の存在。それを「余所者」としてはじめはおかしいと思っていた式部さんが
それに思い切り巻き込まれることで、同じ場所にはまってしまうこと。

同じく、第二の謎解き役による、
「すべての条件を満たす犯人はこの人しかありえません」という推理。
しかし、その「犯人」は、この第二の謎解き役の人の知らないところで
犯人が言うはずのないことをぼそっと言っているシーンがある。


それによって、「犯人はこの人で、トリックはこういうこと」と示されたものが
「謎とトリックの辻褄が合っただけで、それが真実とは断定できない、と気づかされる。

これらのことによってラスト、すべてが解決したと思ったところで
「信用できるのは、自分がちゃんとした観察眼で判断したこと、自分が直接見聞きしたものだけなのだ」
という振り出しに放り出されてしまう。カタルシス据え置き。


だから、ネットで見かけた「違う印象」は、ある側面から、正しい。

「もっと面白いと思ってた」
「犯人が簡単にわかった、意外性がない」
「推理に無理がある、トリックの必然性が薄い」

そう。もっと面白いはず。……だって「最後」までまだ読んでいないのだから。
犯人が簡単にわかった、意外性がない。……うん、そこ、ひっかかる。
推理に無理がある、トリックの必然性が薄い……「謎解き役」が語る推理が正しくない、
トリックが正しくないとしたら?
だってそもそも式部さん、「自分は探偵みたいなことをしているけれど、探偵じゃない」と
最初から自分の立ち位置を明らかにしているわけで、ここでも「振り出しに戻される」感。

と、いうことなのだと感じます。
おもしろい。うおお。

もう何度読み返したかわからないくらいですが、
今のところ、私の中で「第一の犯行」の犯人と「第二の犯行」の犯人は別の人で、
第一の犯人はあの人で、第二の犯人は、その人をずっと観察していたあの人で。
その仮定の上、そもそも、謎の基盤となっている「黒祀」の
「語られていない部分」を探し出して補完しつつ、
まだ、ゾクゾクしながらこの本を楽しんでいます。

今のところの最大のゾクゾクは
「この祭祀のありかただと「それ」が重複して存在する時代があり得、
その結果「それ」が野に放たれる可能性がある」というところ。
また、この家に生まれたときに「それ」のことを聞かされるわけで、
ある意味、とある衝動への免罪符を環境的にも心理的にも与えられるということでもあり、
その結果、誰もが「それ」になるともいえる、とも言え……。
その可能性を当てはめて読み直しているところです。

なんだか、ちょっと派生して
「人のはなしを鵜呑みにしていては
楽しめないし、間違うし、真実を見つけられない。
その結果、不満を言ったり、さげすんだり、愚痴りにつながる。

それはとても、つまんないし、もったいない人生だ、
そう思ったりもしました。


ともあれ、もうちょっといろいろと「可能性」をトレースするあそびを続けて、
最終で、「では、このあとどうなるか」と、物語の未来を考えるあそびをする
楽しみがまだ残っています。
最後に再会したあの人が、何を語るのか、どう行動するのか、
そして、真犯人(と私が目する人)は次に何をしようとするのか。


この一冊でたぶん、私のペースではまだ何年か楽しめるなあ。
反芻して楽しめる本に出会えて、しあわせです。
emix | | 05:52 | comments(0) | - | - | - |

10月9日に読み始めると味わい深い本。

本は、作中時間と合わせながら読むと、
肌で感じる気候や空気がシンクロして味わい深い気がします。

ちょうど、小野不由美の「黒祀の島」。
作中時間は10月9日にはじまり、
時系列どおりにすすみ、1週間くらいで最後に至る。

ちょうど、今の予報を見ていると、天気も近いものがあり、
この作品の「怖さ」がリアルに味わえるかもしれません。
可能であれば、島、もしくは海の近いところで読めばさらに近づくけど、
まあそれは難しいな、と思うのだけど。
日を合わせてゆけば、少しずつ読めて時間も作りやすそうだし。

日付とページ数、ちょっと確認してみた。

10/09 p005-043(038)
10/10 p043-068(025)
10/11 p068-095(027)
10/12 p095-202(107)
10/13 p203-257(054)
10/14 p258-337(079)
10/15 p338-366(028)
10/16 p367-402(035)
10/17 p402-420(018)
10/18 p420-474(054)
10/19 p474-479(005)

※カッコ内はページ数

毎日1日ぶんずつ読むにはおおむね少ないくらいなので、
負担はない(むしろ物足りない)くらい。

ゆっくりじっくり読書を味わいたい方、
よろしければご一緒にどうぞ。

emix | | 20:08 | comments(0) | - | - | - |

おぼえる・わすれる

毎日、起きている間のぶんだけ、インプットがある。
それは、毎日、毎日、蓄積する。
ぜんぶを取っておく、つまり「おぼえておく」ことは、難しい。
だから、「おぼえておくこと」「わすれてすてること」を
取捨選択して、毎日を続ける。
意図的にも、無意識的にも、自然淘汰的にも。


なのに、
「おぼえておきたかったことなのに、わすれてしまった」
「わすれてしまいたいことなのに、いつまでもおぼえている」
ということが、たくさんある。
ことによると、わすれたことさえおぼえていない。
これは、じぶんコントロール上、「失敗」だ。だいしっぱい。

そう思うと、失敗の蓄積で「今」が組み上がっている訳で、
これではいけない、と思う。

どうしてそういうことになるのか、と考えると、
「とりあえずとっておく」記憶が多いからだ。
その「とりあえず」が換気を悪くして、失敗につながる。
取捨選択は、その瞬間瞬間のうちにおこなって
風通しをよくして、クリアな頭にしないと。

と、考えていると、パソコンのHD内と
のうみその記憶領域とは、よく似ているなと思う。
あと部屋のなかと本棚と。

整理整頓のキモは、みんな共通。
emix | 雑記 | 13:24 | comments(0) | - | - | - |

「ちゃんと」、争う。

争いや言い争いは、ないほうがいい。
だけど、自分の主張を表現することはやめられない。
目的は何なのか、それが必要、不要を分けるラインだ。

ふむふむ思った記事。
http://diamond.jp/articles/-/73861

批判(文句)も同様で、
何の目的の批判なのか、ということを
考えてみないとな、と思う。

少なくとも、
「私はあの人より、ましだ」
という感情に基づく批判、文句はやめよう。
浮かんだとしても、表に出さず、
穴を掘って埋めておこう、と思う。

これは差別(選民思想)とつながる行動だという気もする。
だから、特に、注意深く。

自分の「怒り」をちゃんと見つめて、
ちゃんとした怒り、ちゃんとした争いは避けずに、
戦うべきときだけはちゃんと戦おう、と思った。

その「見極め」が、
怠惰でもなく、妥協でもなく、いわゆる平和ボケでもなく、
本当の、積極的平和につながるはずだ、と信じて。

emix | 思うこと | 05:43 | comments(0) | - | - | - |

便利と傲慢と

「便利さ」というのは、
「当たり前」「普通」と扱った時点で
「傲慢さ」に化けるのだ、とあらためて思った。

便利は、すてき。
すてきだからこそ、
傲慢なものにしてはいけないし
そうしないための努力を
自問しつつ、想像しつつ、
続けないといけないのだと思う。

正義とか、平和とかも、これに
似ているかもしれない。

正義も、平和も、すてき。
だからこそ、視野狭窄にならないようにしなければ。

「みんな違って、みんないい」、
「万能薬なんて、ない」。

臆病な謙虚さではなく、
「ひとりひとりのひとは、
ひとりでは全く、至らない存在なのだ」と
言い切る強さを持って。


emix | 思うこと | 19:21 | comments(0) | - | - | - |

なだめうた。

今日のおしごと「バックグラウンドうた」は、ブルーハーツ。
甘やかさず、つきはなさず、
それぞれがんばろうぜ、お前もがんばれよと
同じ目の高さでうたわれる、うたたち。

このまま汗をかいて生きよう。うん。
世界がゆがんでいるのは僕のしわざかもしれない。うん。
聖者になんてなれないよ、だけど生きているほうがいい。うん。

ああ、今日も日が暮れてゆきます。
emix | うた・音楽 | 17:07 | comments(0) | - | - | - |

書けなかった理由。

なんだか日記が、ずいぶん書けずにいました。
いろいろ理由はあるのだけれど、
一番大きなものは、
「書くと、ネガティブなことを書いてしまう」状態だったから。

いっぱい、腹を立てていました。
たとえば政府に。たとえば市民活動家に。企業に。人に。
そしていちばんは、腹を立てている自分に。

すすまない原発の廃炉。
すくわれない東北。
虐げられる弱者。
それでもまだお金稼ぎをしようとする経済界。
言い訳をする人。責任転嫁をする人。
狡い人。嘲笑う人。
正義を標榜して、人を見下す人。

……ああもう、気分悪い!!!

ってな、気持ちになっていました。

そして、そのうえで、
いちばんは、
「そんな人になりたくない」
「同じ過ちをしたくない」と、
身動きがとれなくなって、
何もできていない、自分。

ベストを尽くしたくて、
過ちをおかしたくなくて、
動けない自分。
そして動かないことで、
ベストも尽くせておらず、
過ちもおかしている。

そこから、見えてきたこと。

平和と博愛、というのは
むりです。

できると思うと、大過をおかします。

わたしとわたしの家族、ともだちの平和。
わたしとわたしの家族、ともだちへの愛。

そんな小さな枠の中でしか、
わたしの手と意識は届かない。

さいきん、ソーシャルなんたらのお陰で
せかいの目の届く範囲と、「ともだち」の枠がぐっと広がりました。
それは嬉しい。でも、私の「可能」の枠には、過ぎたものでした。

一番大事なものをちゃんと大事にできるように、
狭い平和と、卑小な愛のために、
等身大の小ささで、見つめ直していきたいと
思っています。

黒電話がいとおしい最近。
あの「誰からの着信か分からない」感覚、
「かけた家電に、誰が出るか分からない」感覚、
「つながらなかったとき、あきらめる」感覚、
「話し中だったとき、相手の状況を考える」感覚。

不便で不自由で、幅広かった。

便利なものは、便利ですてきなんだけど、
不便なものも、やっぱりいとおしい、私。

つまり、「選ぶのは、わたし」という線は
誰にもゆずれないし、誰にも干渉されたくない、
ということなのだと思われます。私の本心。
emix | 雑記 | 15:50 | comments(0) | - | - | - |

姿勢。

姿勢と心がけは、連動する。
屈まず、反らず、背筋をまっすぐ伸ばして。

そんな姿勢から生まれるものは、
言葉も、思いも、まことを纏う。

練られていなくても、荒削りでも、
まことさえあれば。


それは、「正直だったらいい」という
安易な思考停止の開き直りとは全く、別物だ。

背筋を伸ばした姿は、
なにはともあれ、美しい。

そういえば、姿勢の悪い動物って、いない。
一生懸命で必死のものには、
姿勢が悪くなる「隙」はないのだ。

目覚めているあいだは、
ニンゲンの持てる、
自分の持てる、いい姿勢でいよう。

そうすれば、見落としていたもの、
見逃していたもの、忘れていたもの、
失っていたものが、見えてくる。

たぶん。


------


※最後のひとことでだいなしにする
「たぶん」シリーズです。
「逆もあるし、違う見方もあるよ」という幅を
持たせる寛容で便利なことば、「たぶん」が私は大好きです。

たぶん。
emix | 思うこと | 15:29 | comments(0) | - | - | - |

声が聞こえる。

仕事と向き合うとき、
どうしようと頭をひねるとき、
頭の中で、扱う素材の声が聞こえる。
そして、先達の声が聞こえる。

素材の声は、
「こう作ってほしい」
「こう作られるのは、いやだ」
などなど。

先達の声は、
「それはまずいよ」
「もっといい方法があるだろう?」
「……ふーん」
などなど。

先達は、なかなか
「いいね」とは、言ってくれない。

これは、どんな仕事でも、そうなんだな、と思った。

堂宮大工の人がお寺の修繕をしているときに
作り手の声を聞く、と言った。
木造建築の大工の人が墨付けをしているときに
木の声を聞く、と言った。
マタギである人が山の中で獲物を追っているとき
長老の指示の声を聞く、と言った。

そして私はいま、
デザインを試行錯誤しつつ作っていて、
先輩の声を聞いていた。

ほんと、なかなか
「いいね」とオッケーを出してくれない。

ただ、声を聞けるということは、
同じ道を行っているということだけは、
確かなのだと思う。
まだ辿り着けていないけれども、
まちがってはいない道を進み、
先を行く先輩の後、影、痕跡を
追っているということ。

だから、声が聞こえた、
声を聞けるところにきた、ということは、
この先が開けるという「前兆」だ。

先達の声、素材の声は、
無視することもできる。
でも、無視しなければ、
さらなる高みに導いてもらえる。

どちらがいいか、なんて、
言うまでもないことだ。

たぶん、「アルケミスト」の
「前兆は語る」は、
これと同じことを言っているのだろうと思う。

前兆とともにある、豊かな生を選ぼう。

emix | 思うこと | 17:29 | comments(0) | - | - | - |

人生とは

ひとつひとつが「時間切れ」の連続で、
最後にぜんたいの「時間切れ」が訪れることだ。

……なんてことを思う、
「時間切れでいろいろと切り上げる」日々。

完成するのかなあライフワークって。
emix | 思うこと | 05:58 | comments(0) | - | - | - |
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