まごころ不在の、先回りの「感謝」。

先回りして言われる「ありがとう」が、とても嫌い。

トイレにある、「いつもきれいに使ってくださってありがとうございます」とか。
まだ何もしていないのに言われる「ありがとう」とか。
あいさつみたいな「ありがとう」も。

本心かそうなのかどうかはともかくとして、
私はその言葉に、それぞれ

「キレイに使わせよう」
「後々のために印象よく思わせよう」
「言っておいて悪いことはないから」

みたいな、「聞き手をコントロールしたい」という
支配的な印象を感じる。

感謝の言葉を利用して相手をコントロールしようだなんて、
その言葉の意味に対して、ものすごく、失礼で汚いことじゃないか。


これらの言葉をこのように使っている人は、
そのことを、思わないのだろうか。

思わないとすれば、そこに「自己陶酔」が
加わってるんじゃないか。
よけいダメなんじゃないか、それは。

そんな風に思ってしまうのです。

で、この感覚は、私には普通なのだけれども、
一般的には、ひとの善意を曲解している見方だと
思われているようなこともしばしば感じるので、
なーんか、ちょっと「普通」の自信をなくしがちなこの頃。
emix | 思うこと | 17:39 | comments(0) | - | - | - |

陰謀論、はんたいー。

「間違ってると思うこの世界の姿」について対話をするとき、感じること。
陰謀論に着地してそこを出発点にしてしまわないことが、世界を正しく変革する力なのではないか。

「悪いやつがいて、それらによってうまくいかないようにしむけられてるんだ」って話は、
けっこうよく聞くのだけれども、一部の事実を示しているとも思わなくもないのだけれども、
拒絶反応がいつも起こる。それを原動力にしたくはない。何というか、未来が暗い気がする。

でも、もっと正直になれば
「悪口を肯定するのは、気分がわるい」という単純な理由のような気がする。
案外、子どものころに身にしみた
「悪口を言うのは悪いこと」という教訓が、しっかりと根付いているのだなあ。
悪口は「瞬間的にちょっと高揚する何かの毒を持っている」
だけに、危険だなと気が付ける。

いま、そんなことを思えるのも、
「ちゃんと失敗を重ねてきた」未熟な子ども時代があったからだ。
(まだ未熟なところは山ほどあるけれどもそこは置いといて)


……今日は、子どもの育てかたについての話をみんなでディスカッションしていたので、
いま頭のなかでそういうところに結論が行き着きました。
失敗したり挫折したり後悔したり理不尽に翻弄される未熟な時代、
ないほうがいいと願うものなんだけど、
なくすわけにはいかないものなんだよなあ。ああ徒然。
emix | 思うこと | 19:46 | comments(0) | - | - | - |

今日という今。

三十代の友人・知人の訃報と大病を立て続けに聞く今年。
しかも事故のように突然なほうの病気。

昨晩、共通の友人(年下)がそんな大病をしたと聞いて
(幸い命には別状はないのですが、回復には時間がかかりそう)、
友人とふたりで「自分たちも例外じゃないよね」としんみり。

健康には気を付ける……とかの、予防のことだけじゃなくて
「もしそのタイミングが自分に訪れたら」という備えもしないとな、と思った。

まずは整理整頓、棚上げタスクの完了、
毎日の思いつきの実行、なんだかんだ。

後悔しない、ということのために
やるべきことは、たくさんある。というかそれが全てだ。

目に入るもの、耳に聞こえるもの、
鼻に届くかおり、肌に触れる何か、心に響く直感、
それらすべての「今」を逃さずに。

あらためて、大切なものは何か、と
考える日々。

emix | 思うこと | 08:19 | comments(0) | - | - | - |

うっかり進化論。

ためしに作ってみて、発酵・熟成系モノのほとんどすべては、
「うっかりさん」の存在なしには生まれなかったに違いないといつも思う。

例えば納豆。紅茶。
お酒。染色。

うかつな人間は、人類の文化の中でかけがえなくuniqueで重要な一翼を担う存在なのだ。
停滞するルーチンからのブレイクスルーを担うと言ってもいい。
つまり輪廻からの解脱を導く存在とも言える(いやこれはちょっとさすがに飛躍か)。

ともあれ、ご先祖さま、うっかりしてくれてありがとう。
子孫も「ちゃんとうっかり」してますから、どうかご心配なく。


「間違いを起こさない」ことももちろん、当然とても大切なのだけれども、
「うっかり間違ってしまう」ことが100%の悪ではなく、
角度を変えて見てみれば、ひとつの素晴らしい分岐なのだということを認識していたい。

emix | 思うこと | 02:49 | comments(0) | - | - | - |

リセットボタンは、おふろとごはん。

前置き。愚痴ではなくて、昇華のための分析です。


ごく小さなものだけれど、ちょっと、いやなことがあって、
でも、「いやだ」を表現するのもいやなので、
ごっくんと飲み込んでおいたのだけど、
当然ながら、消えてなくなるわけではなくて。

でも「『いやだ』を表現したくない」という自分の意思が、
消えてなくなるわけではない「それ」のアウトプットを、
非常にややこしいカタチに変成させて出してくる。

曰く、やりたいことと違うことをあえてするとか。
曰く、やりたくないことをあえてするとか。
曰く、おいしいと思わないものをあえて食べるとか。

ふと気付いたけど、これもある意味、
自傷行為というものなんだろう。

ヤケ食いとか、ヤケ酒とかも、同じなんだろう。
(これらはやんないけど。もったいないから(笑))


解決方法を考えてみたけれど、
でもやっぱり「いやだ」を表現するのはいやなので
いやなものには近づかないくふうを考えて次にそなえよう。
そして今のことについては、リセットをしよう。

ああ、そういえば、私には
「おいしいものを食べたらとりあえず幸せ」という
お気楽機能がついているんだった。

今晩はおいしいごはんをていねいに作ろう。
あったかいおふろでゆるんでこよう。

おふろとごはんだ、人生は。
……ちょっと違う気もするけれど、まあいいや。


emix | 思うこと | 18:21 | comments(0) | - | - | - |

「地域のため」という価値観について。

実は、ローカルな仕事をしていながら
こんなことを言うのはアレなのだけれども、
カミングアウトしてしまうと、
「地域のために」という価値観が、実は、私はまだわからない。

ともだちがいる場所。
かぞくがいる場所。

それが地域とイコールであれば、
そこの場所を大事にするだろう。

でも、それは私には「動くもの」であって、
ともだちが移動したら、大事な場所も移動する。
かぞくが移動したら、移動する。

そう考えたときに、
自分の、土地との結びつきのすくなさや、
定住のための暮らしとの縁のうすさを
いやでも実感してしまう。

それはおそらく、個として持って生まれた性であり、
属としては、自分の中に根付く「固定」のない
ローカルな意味での「混血」ゆえのかなしみなのだと思う。

たぶん、人として生まれてから
私に至るまでの長い年月のなかで、
私の祖先は、いろんな土地を行き、
いろんな土地の人と結ばれ、
いろんな暮らしを味わってきたのだろう。

生粋の海の民でもなく、山の民でもなく、
平地に生きる農耕の民でもなく、
旅に生きる漂泊の民でもない、
そんな「ぜんぶがあって、ぜんぶが微妙」な
わたしという生。


emix | 思うこと | 22:01 | comments(0) | - | - | - |

「加担しない」ための、下地。

名古屋ですてきなごはんやさんをやっている店主のかたが、
とある雑誌のなかで、ツタで編んだ買い物かごを持って
「買い物は、政治運動!」って言ってた。

「安いよ!」「便利だよ!」「おもしろいよ!」
と、うったえかけられる、
なんらかの商品やサービスの広告やステルス記事を見るたびに、
その買い物スタイルと、このことばをいつも、思い出す。

安い、便利、おもしろい、これらのことは
「自分と、自分の隣」には、
重要ですごくありがたいことだけど、それが

「遠くの誰か、もしくは未来の誰かを
 ひどいめに遭わせるもの」

なのであれば、
「自分とそのまわり」だけ、
よろこんで受け取っていては
いけないなと思う。

誰もを幸せにする、なんて
すごいことはできないけれども、
だからといって、
積極的に「傷つける加担」に
加わるのだけは、絶対に嫌だ。

安価さと、都合のよいサービスの
「来し方、行く末」を見たうえで、「選ぶ」。

迷いながら、遠回りしながら、間違いながらでも、
そういう目と手と足だけは常に備えながら、
生きていきたいと思う。


補記。

……さいきん、生活には不要な道路がどんどん増えて、
なんでそうなるんだろうという話をしていたら、

「ガソリンの中に含まれる税はプールしてはダメで、
どんどん使わないといけないから、それを消費するために、そうなる。
ガソリンを使うひとがいるから、どんどん山が削られ、道路がどんどんできる」

という話を教えてもらい、ああもうなんてものを知らないのだ私、と
頭をかかえたのでした。

国のこと、政治のこと、経済のこと、税金のこと、
とても複雑で難しいけど、
「難しいから言われたとおりにしておこう」
って楽なほうに投げることは、
やってはいけないのだと思いました。

これこそ、社会人の「義務教育」だ。






emix | 思うこと | 09:56 | comments(0) | - | - | - |

「ただしい側」に属したくない、ひとつの心理。

ときどき、

「生活保護をもらっているのにパチンコに行く」
「ワンカップを飲んでいる」

という、とても「記号的なシーン」を
映像で見たり、話に聞いたりする。

いつも、もやもやする。

何故かといえば、
「すごく端的で、わかりやすい」からだ。

責めやすい。

「そういうお金じゃないだろう!」
「そんなことに浪費するくらいなら、辞退して本当に必要なひとに回せ!」

ほんとうに責めやすい。

言うなれば、
見た人は、「正義の味方」になれる。
だから、すごくもやもやする。


この「もやもや」を具体的に説明すれば、
「すごくいやな気分になる」。


「この人は、安全地帯から自信を持って攻撃していいよ」
という免罪符を添えて、人身御供として差し出されているような。


なんか、違わないか。
りくつはただしいのかもしれないけれど、
とても大事ななにかが、ただしくないんじゃないか。


こういうことが、「ただしい」と歓迎され、
こういうひとが、「ただしくない」とばっさりと
多数から集中攻撃を受けて断罪されるのならば、

私は「ただしい側」に属したくない。
きぶんがわるい。

だって、もしかしたら、
食事を切りつめ、ワンカップをかろうじて買い求めて
ひとり、恩人の命日に献杯をしていたのかもしれないじゃないか。
パチンコは私自身がやらないから、ちょっと想像しにくいけれども、
もしかしたら、何らかの事情があるかもしれないじゃないか。


これは、ただの妄想で根拠のない勝手な想像だけれども、
そういうことを何も想像さえすることなしに、
記号的な「悪」のシーンをそのまま受け止めて
高みから「悪だ」と言う側にいるよりも、
私には、ずっとましな「心の納得」なのだ。


「気分が高揚する『正しさ』」は、
たぶん、ろくでもないものだ。

というのが、現時点の
「論理的に説明できない、感情的理解」の、結論。


emix | 思うこと | 08:08 | comments(0) | - | - | - |

ボランティアの功と罪。

「ボランティア」が生むプラスとマイナスの差引は
もしかしたらマイナスなのかもしれない。

安易にボランティアをすることは、
自分も人もダメにすることかもしれない。

こころの世界でいちばんの敵は、
攻撃するものではなく、依存させるものなのかもしれない。
悩むことではなく、思考停止に陥ることなのかもしれない。

「愛」のありかたと、似ている。

ほんとうに、相手が大事なら、
手をさしのべるのではなく、
手をさしのべられなくても一人で生きていけるようにと
あえて「本人に苦労させる」はからいをするように。

答えを教えるのではなく、
解き方のヒントを見せるように。


「愛しているのに、愛してくれない、という人は、
愛とは本当は難しいものなのだと知らないのだ」という言葉がある。

同じだ。
ボランティアは、本当は、とても、とても難しい。

安易に「私が出来ることだ」と手を出すことは、
多くを壊し、多くの芽を摘み、自らも傷つく、
そういうものなのだ。


波及するものについて考えることなしに
「あ、それ、できるよ」と言わないようにしよう。

やれることなのにやらない、という
後ろめたい気持ちは、もう捨てていい。

後ろめたいという感情は、自己愛だ。
それよりももう一歩、先へ。

emix | 思うこと | 20:45 | comments(0) | - | - | - |

あきらめること。

「あきらめること」を選ぶと、
逆に、選択肢が増える。

八方ふさがりでどっちのほうにも動けなかったのが、
「もう道は八つもない。五つの道をあきらめよう」と決めると、
残り三つの道の風通しがよくなって、こちらへ進めるようになる。

取捨選択、ということ。


世界が便利になりすぎて、
何でも選べるしどこへでも行けるような
錯覚にとらわれていることと、
肉体と精神の稼働速度の齟齬を
若いとつい失念することで、
「測り間違う」。

いい選択ができるようになる、というのは
「失う経験」によるものなのかもしれない。

emix | 思うこと | 15:35 | comments(0) | - | - | - |
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